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2013年10月 7日 (月曜日)

杉並木に汽車が走る(下野電気鉄道)

                     <10月9日(水)加筆>

え~全国4000万人 3人くらい?の下野軌道ファンの皆様

こんにちは(*゚▽゚)ノ  オラです

 

オラの大切にしてる本「郷愁の野州鉄道」には、今となっては想像もできないような歴史が書いてあるのだが、あまりにも古いと年表記載のみになってしまい、写真が残っているケースは希である。

Photo

P254

↑ 254頁には下野電気鉄道(旧下野軌道)の歴史が記載されている。

 挿絵の写真にご注目!

あのユーメイな日光杉並木に汽車が走ってる!!w(゚o゚)w

想像もしなかったので心惹かれるじゃない! 

 

この写真がきっかけとなり 夢中になって下野電気鉄道を調べてみると年表にこんな記載があったので転記する。

1919年(大正8年)10月1日 大谷向今市-新今市間が開通

1927年(昭和2年)11月 新今市-大桑間の大谷向駅廃止

1929年(昭和4年)7月7日 新今市-大桑間に小倉町駅開業  東武日光線乗り換え駅

 

つまり簡単に言うと、東武が日光線を敷設する前には、東武の下今市駅(現駅名)とJR今市駅(現駅名)のあいだになんと連絡線が通っていたことになる。

 ここで「連絡線」と書いたが、実際は新今市新藤原間15.4㎞にわたる下野電気鉄道路線の一部であって経営母体や軌間(レール幅)は同一である。

ただし駅舎については現在の駅とはまったく別であった。

・新今市駅(鉄道院)の場合後述のとおり現在のJR今市駅前ロータリーに存在していた。

・小倉町駅は現在の下今市駅前広場に存在していた。

      

Photo_15

 ↑ ちなみにコレは現在(2013年)の路線図

 

それが…文献のとおりに直線を引くと

  ↓   ↓   ↓   ↓   ↓

2

 ↑ こんな具合に連結してたことになるんだよwww

目的は…ちゃんと書くと長くなるが、東武が日光まで線路延ばす前は日光方面への鉄道は国鉄のみであり、日光に向かう客の為に東武駅から国鉄駅まで「連絡線路」を敷設して客を回してたんだよね。

 

下野電気軌道(藤原軌道・下野軌道ふくむ)は藤原方面に既に軌道を持っていた。それは森林・鉱物を中心とした産業軌道であった。元々は下野軌道が下滝の発電所建設に伴う資材運搬の為に大谷向今市駅(現大谷向駅)から中岩駅(1922年廃止)の6.0㎞の営業を開始。その後藤原方面や今市方面に伸びていった。

1929年(昭和4年)、東武の日光線が下今市まで延伸されたの機に下野電気鉄道線との連絡を図り、小倉町臨時停留所(小倉町駅)を設置、さらに10月には東武日光線下今市駅構内に乗り入れ、同駅に起点を改めて下今市 - 新今市間を廃止した

  

つまり、路線廃止時の駅名でいうと 新今市-小倉町間を廃止したということ。

  

ふーん。なるほどね( ̄▽ ̄) なんとなくわかってきた!

それにしても、このあたりは仕事で何度も通ってるし、歩いたこともあるんだが今思い出してもそんな痕跡はなかったと思う。

 

ホントだとすれば(文献が正しい!!) スゲー!

幻の線路ってわけだ( ̄▽ ̄) 

つーわけで徹底的に調べてやろうと思っていたのだが、なかなか時間がなく半ばあきらめていたところだった。

でも今回 今市出身「幼なじみのW君」のご協力が得られ実施に至った。

 

調査目的は 文献や住民の方からの情報をもとに

連結線の軌道跡をトレースすること

そしてW君オススメのそば屋さんで

美味しい昼メシ食うことこの二つ!

  

それでは調査開始!! と行きたいところだが

まずは下調べということで

古い写真から線路の痕跡がないか調査してみた

19463

↑ これは1946年(昭和21年) 米軍が撮った航空写真

日光街道・例幣使街道の追分を中心とした今市の主要部分である。

 

国鉄今市駅から東武下今市駅間には線路らしき痕跡がない

年表からは昭和4年の廃線から17年後、拡大してみると「なんとなく」それらしいモノは写っているがはっきりしない。

2006

 ↑2006年(平成18年)航空写真  米軍写真の60年後

市街化が進みさらに判別不能。。。 というか新たな道路整備と区画整理によりJR今市駅側(上の写真では左下)では様相が一変しているのがわかる

    

オラはこーみえても下調べに余念がないのだが、、

今回ばかりは100%駅間を歩いてこの目で調査することにした。

 

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2013年10月6日(日) くもり 湿度ムンムン

・調査員1 カブパパ(あ~先月ついに48になっちゃった爆)

・調査員2 W君 (カブパパの幼なじみ 小学校以来)

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..。.:*・゜(n‘∀‘)η゚・ジャジャジャ~~~ン !!!!!

まずはいきなり結果発表する……  (手抜き研究)

ww結果としてこーなった ww

Photo_5

↑ 二つの駅間(新今市―小倉町)は直線ではなく弧を描くような曲線で結ばれていた。

 ただし 痕跡は多少残っていたものの非常に苦労した…

 ここでは以降あえて便宜的に「連結線」と呼ばせていただく

それではその調査の過程をご覧にいれたい。

 

まずはココから出発

●JR今市駅

Jr

002

↑JR今市駅   

 1890年(明治23年)開業 ここからスタートするわけだが

連結線の新今市駅舎とは違う。新宿や渋谷みたいに乗り入れていたわけではない。

003

↑文献によると 連結線の新今市駅は駅前ロータリー、この写真のあたりにあったものと推測する。おそらく間違いないだろう。

 

出発して今回の頼りはお年寄りからの情報収集

 (実際これが実に役に立った)

 

駅前で道路を履いてるご老人に話しかけた。

オラの風体をみてちょっと引き気味だったが、

「こんな調査をしてるので 知ってること教えてください」とお願いしら快くお答えくださった。(多謝)

線路はこのロータリを起点に現在の今市図書館(当時は畑)の北をかすめ例幣使街道を横切っていたらしい。

さっそく今市図書館方面へと歩く  テクテク

 

●今市図書館

Photo_6

004

 ↑ ここが今市図書館 北東のカド

  写真奥に見える並木が 有名な例幣使街道杉並木

 写真手前からあの杉並木方面に軌道は続いていたことになる

 

●竹美荘付近

Photo_8

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↑ 先ほどのご老人からの情報で この竹美荘の北を通って例幣使街道を突っ切っていたらしい。

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↑元来た道を振り返ってみる。

 軌道はほぼこの道路の向きに伸びており、写真奥の暖色アパートの手前から徐々に右に曲がっていった。

 

008

↑ ココが架橋ポイント (例幣使街道から「竹美荘」方面を見上げる)

 杉並木街道は江戸期の通例に習い側部より低くなっている。そのため軌道は橋脚の上に引かれていた。 写真のラクガキ スケッチのように架橋されていたと推測する。 

 

●日光街道側の架橋ポイント

Photo_9

009

 ↑ 例幣使街道ー日光街道間の軌道跡

今回最大の謎だった だがあっけなく住民からの情報で解明できた。 さすが地元民(感謝感謝である)

さきほどの例幣使街道(写真の奥に写ってる)を超えて日光街道まで続く道は大小2本あった。 同じような道幅であったため特定できないで悩んでいたところ、街道沿いの住民のかたが教えてくれた。

010

↑写真に見えるタイヤショップの右側の道(ちょっとこの写真じゃ判別しづらい…)から軌道は続き このあたりの杉並木を突っ切って日光街道と交差していた。

 (たしかにこの周辺だけ杉の樹齢が若い気がする…)

 

●旧病院方面へ

Photo_10

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↑さきほどの延長線にある路地。100m直線を行くと住宅の門でつきあたる。おそらく廃線跡地に建てたもの。

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↑軌道はこんな感じで直進していた。

右の明るい色の建物(病院跡)左側を通っていた。

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 ↑W君情報では40年程前には上写真の建物(さっきの病院跡)の脇には土盛りが残っていた。(おそらく築堤のあと)   軌道はこんな感じで通っていた。

014

↑ この不思議な建物は縦長の車庫 

細い路地の両脇にシャッター付の車庫が並んでいる。廃線跡地の利用方法として全国でよく見られる光景である。

写真正面方向は東武下今市駅方面 直線距離だと300mもない

 

●漬物店のあたり

Photo_11

015

↑ ココは駅前の漬物店の裏手にあたる。

 正面高い建物は東武関係のビル 軌道はココをとおり駅に向かっていた。

思い過ごしかもしれないが この写真中央のアスファルトレベルが左右微妙に違う気がした。

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↑ さきほどの漬物店を 東武駅側から見る。 矢印のように軌道が伸びていた。

 

●東武下今市駅  やっと着いた……

Photo_12

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↑東武鉄道下今市駅 1929年(昭和4年)開業  

島式ホーム2面4線をもつ見た目より立派な駅。 おそらく同じホームを共有していたはずである。

この下今市駅は東武日光線開通に伴い開業された駅である。

「連結線」の小倉町駅舎は当初この駅前ロータリあたりに存在した。その後東武日光線乗り入れに伴い廃止となった

駅前は廃れているとはいえ歴史が積み重なった老舗が軒を並べており、また東部関連の開発会社、不動産関連会社が多く、今市において東武がもたらした産業資本の潤沢さをうかがい知ることができる。

 

【後記】

今回の調査では、対象軌道の廃線化時期が古かったこともあり、その痕跡を見つけることは容易ではなかったが、地元住民の御親切なアドバイスのおかげで結果として完遂することができた。 もっとも興味があった「ふたつの街道をどうやって渡ったのか?」についても昭和50年頃までは橋脚跡が残っていたという証言をもとに場所を特定することができた。

 

満足な調査ができたので 腹が減った!! (不満でも減るけど…)

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↑W君オススメの お蕎麦屋さん

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↑クシャクシャになった地図。。 反省会

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↑鴨せいろを頼んだ  

 なんか先週も鴨ソバ食ったきがするね。。。。。

  

021doctor

↑同行してくれたW君  ありがと~(*^-^)

  

最後に、

調査のきっかけとなった一枚の写真

杉並木を走る汽車

Photo_14

場所は特定できないのだが今市周辺の杉並木と思われる。

近所の農民? が手を振っている。

実はオラ 

この写真で感じたことは、SLや杉並木など古い物へのノスタルジーなんかではない。

産業開発といった国家の大目標の為には杉並木という歴史的財産などはいとも簡単に壊されてしまうということである。国家の成長期ってヒトと同じで いろんなところが痛くなったりするんだね~~。。

 

 

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酷道 険道 廃道 廃校」カテゴリの記事

コメント

下野軌道ファンクラブ
会員番号3999番のカン吉です。
どストライクの記事ありがとうございます。
杉並木と汽車!
なんて組み合わせなんだ‼︎
イ・イカスshine
調査お疲れ様でした。

投稿: カン吉 | 2013年10月 7日 (月曜日) 23:40

カン太郎

ポイントは例幣使街道・日光街道の交差地点を特定することでした。現状では橋脚の跡すら残っていない困った状況を一変させたのは地元の方のご協力でした。
やはり「現場」に行って汗をかかないと良い結果は得られません。。

投稿: カブパパ | 2013年10月 8日 (火曜日) 15:43

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