« 2013年9月 | トップページ | 2013年11月 »

2013年10月

2013年10月29日 (火曜日)

聖職の碑

   

 

ここのところ朝晩が冷えてきた。 

栃木の北部では紅葉の真っ盛り。

ところが 皮肉にもこんなおいしい時期に休日なしの仕事が続くんだよね…毎年

商売柄仕方ないとは思っていても悔やまれる。。。

   

紅葉の便りの一方で茶臼岳が冠雪のニュース。

例年より早いらしい。

個人的に冬山は大好きだ。なぜなら葉っぱが落ちると山の稜線がはっきり見えるから。

山自体のカタチが好きなんだねオラは。

ところが冬山登る(歩く)となると話は別で、夏山とは比べものにならない重装備となる。

日暮れも早いし、遭難する確率も高くなる。辛いね

       

それでも好き。

 

わざわざ 辛い思いして喜んでるなんて……ドMだね。

そーいうところはバイクにも通じることがある。

暑い日は 上から太陽、下からエンジン熱

寒い日は 冷気の壁に頭突きしながら走るんだもんね。

転べば痛いし死ぬ確率はクルマの20倍

 

真正ドMの2大スポーツといえば 登山とバイクかもしれない。

 

それに   

登山もバイクも いったん事故が起きれば大事になる。

バイクは言うに及ばず、登山に至っては捜索やら救助でもっと大変

捜索ヘリ飛ばすと●●●万は飛んでいく。

  

最近、遭難の記事ばかり書いてるのも、危険度が高いことしてる以上は同時にマイナス面の自己認識を持つ必要を感じているからだ。

   

  

オラが中学1年生のとき こんな映画を見た

513nsjfhvxl

↑ 聖職の碑(せいしょくのいしぶみ)

1912年(大正2年)8月の木曽駒ヶ岳で起きた長野県中箕輪高等小学校集団登山での気象遭難事故を新田次郎原作をもとに映画化したものである。生徒を含む11名の尊い命が夏山に散った。(詳しくはググ)

   

ちょうど今から100年前に起きた山岳事故ということになる。

Photo

登山が「修験の場」から「教育(鍛錬)の一環」へと変化しはじめた頃で、当然レジャー的雰囲気はまだ希薄だったもの、出発時での子供の嬉々とした顔が印象に残った映画だった。

 

100年後の今日、当時の装備や気象予測を云々するのは馬鹿げているので差し控えるが、「あんな軽装備でよく木曽駒登る気になったな…」ってのが正直な感想だ。

 

物語は原作者新田次郎の他作品にも見られるように、卓越した気象知識と独自のプルービングによるリアリティ溢れる話で構成される。

前半の教員の対立、中盤の遭難事故、終盤の記念碑建立までの3部に渡る長編にも関わらず退屈させない作品となっている。

 この映画は「極限状態での師弟愛」というテーマで封切りされたとおり、鶴田浩二扮する校長先生がやたら立派に見えた(オラの学校の校長に比べて…) というのも遭難した子供らはオラと同年代だったから。

映画が終わると そこに涙を流したオラがいた。。。

ショックな内容だった。 

 

次の年(中2)での茶臼岳登山では映画を思いだして震えた。

 

なんとか頂上まで登った 

そこには暴風雨は来なかったが 頼れる校長はいなかった。。

    

 

 

 

  

| | コメント (0)

2013年10月25日 (金曜日)

27号

   

えっ?  

また直撃?

Photo

そんで こうなる↓↓↓↓

Photo_2

 (今みてもスゴイ クロウの右フック)

 

 

かと思ったら

1327gou_2 

 ↑ それてよかった。。 27号

ただし台風付近の海域は大しけに進路にあたる地域は防風大雨に注意が必要です。

今日の宇都宮の天気は小雨交じりの気温17度 湿度80%

  

ジメジメ… 右膝に古傷持つオラにとっては最悪ヤな天気

 

さて

今週末はお得意先のイベント手伝いだ。

天気回復すればいいなぁ。。。。。

   

   

| | コメント (2)

2013年10月23日 (水曜日)

遭難しかけたハナシ2

  

 

そうなんです。 川崎さん

Bonti

↑知ってる? オヤジ年代しか知らないかも。。。

 

いや今回はオラが遭難したんじゃなくて、過去の遭難事故を振り返ってオラなりの所感を書いてみる。

  

記憶に新しいところで2009年の7月

「トムラウシ山遭難事故」ってのがあった。(詳しくはググれ)

2泊3日の山行の最終日に起きた山岳遭難事故

Tomurausi

 ↑トムラウシ山 大雪山系南部の標高2141m

お亡くなりになった方に哀悼の意を捧げるのと同時に、山岳事故の恐ろしさを改めて認識することとなった。

過歴の事故と同様に複数のミスが重なった結果によるものであったが、夏山であったのにも関わらずツアーガイドを含む9名が低体温症で亡くなったことで、「天候の変化に対応不足だった」こと、「装備が不十分だった」こと、「高齢による体力不足」ことなどが指摘されている。

  

ココからは(あくまでも)オラ的所感なのでご意見無用。

「天候の変化に対応できなかった」ことについては

雨に降られたことは間違いないが、遭難者全員が手足だけで全身ずぶ濡れだったわけではなく、強風による体温低下が主原因のひとつとされている。

(測候所の発表では当日の気温は8~12℃ 風速は最大25mとされている)

また現場の状況については、強風で岩にしがみついていた方が多くさらに吹き飛ばされた装備もあり、続行不可能で即中止したパーティもあったなか、このツアーは中止の判断が遅れたことも一因とされている。

2泊3日の最終日、無理してでもココを乗り切れば……という気持ちが遭難者・ツアーガイド双方にあったと考えられる。山岳ツアー特有の、「自分一人の不調が原因でツアー自体が中止となっては他のメンバーに申し訳ない」という群集心理がはたらいたことが無理をおして歩いてしまった(無駄な体力を消費してしまった)ことも原因とも考えられる。

一方ツアーガイドも、もしここで中止(避難要請)したら「今後このツアーは売れなくなる」とか会社から「なんで強行しなかったんだ!」と叱られることを想定して無理な山行を行ってしまったんではないかと推察する。

↑↑これは現実的にありうること。

ツアーガイドの報酬は「行って帰ってなんぼ」であり、いかなる原因があろうが「中止」は会社の不利益でありガイド自信の評価も下げる。

そのような状況が適切な判断、ここでは「登山中止」と「救助要請」を遅らせたものと推測する。

 

「装備が不十分だった」ことについては

一部の方が防寒着や非常食を装備していなかった点も指摘されている。

ツアー会社に即されるまでもなく、最低限の登山装備として用意を怠っていたことは参加者のミスもあったのでは?と思わざるを得ない。

      

「高齢による体力不足」については

ツアー参加者多くが50~60代の高齢者であり、亡くなった方はほぼ60代。(死亡したガイドも61歳) 報道では定年後に登山を始めた方が半数以上いたこと。

実はオラもあと数年で50代突入だが、なにも年配者だから「体力が無くて状況変化に対応できなかった」と言っているわけではない。プロスキーヤーの三浦さんのように還暦すぎてエベレスト登る方もいる。 

だが実際問題 

登山は山の高低に関わらず、体がまともに動き、さらに状況変化に応じることが可能な体力を準備してから登ることが基本であり一種のマナー、装備とは変化に対応するだけのタダの道具であることを忘れてはならない。

 

当時の報道では、登山ツアーを主催した会社(ガイド)の判断ミスが大きな原因とされ管理責任が追及されていた。

ところが、多くの遭難者を出してしまった痛ましい事故であったにも関わらず既出のツアー会社HPを見たところ簡単な「お詫び文」と同様の山岳ツアーが再募集されていたことに憤慨した記憶がある。

    

いずれにせよ過信と慣れは適切な状況判断を狂わす原因となる。トムラウシ山の遭難から得られた教訓はオラの山歩きのベースとなっている。

 

 

遭難して亡くなった方のご冥福をお祈りいたします。

| | コメント (0)

2013年10月22日 (火曜日)

遭難しかけたハナシ

 

いつもながら とりとめのない記事

 

あえて書くようなコトでもないが数年前に遭難しかけたハナシ

 (遭難というより 避難かも)

Photo

↑冬の日光(中禅寺湖から戦場ヶ原方面)

 

2002年(11年前)、新築した勢いで一気にカメラを買い写真撮りに勤しんでいた頃、急に冬の日光をフィルムに収めるため北に向かった。

  

目標 小田代ヶ原 貴婦人 

※貴婦人とは小田代ヶ原に生えている1本のシラカンバのこと

他とは離れて立っており気高く感じることから「貴婦人」と命名された。

口に悪いカメラマンは「未亡人」などと言う輩もいる。

テニス好きの間では「お蝶婦人」

昼ドラ好きの間では「かまきり婦人」…………

もうやめたε-( ̄ヘ ̄)┌

----------------------------------------------------

2002年2月14日

(3:50)自宅出発

(4:30)馬返し トイレに寄る 第二いろは坂は半凍結 

(5:10)赤沼着  雪は降っていない 気温マイナス10℃ 

まだ真っ暗 気のせいか男体山の方角がすこし明るく見える程度

 

低公害バスの発着所付近に駐車する。周囲の積雪は70センチほどか

ライトで照らされた範囲で見る限り、予想より積もっていなかった。。。

ただし予想を超える猛烈な寒さに、もしもの場合を考えザックの隙間いっぱいに車内の毛布類を突っ込む。

  

(5:20)出発 ヘッデンに灯を入れ目的地の小田代あずま屋に向けて出発

遊歩道の積雪は40センチ 赤沼入り口から50mまでは踏み固められており歩きやすかったが、赤沼分岐から小田代方面に向かうと雪が深くなってきた。地獄川橋の階段も完全に凍結しストック無しでは登れない。

 

(6:20)小田代展望台到着 

展望台とはいっても特別高台になっているわけでもなく なんとなく原っぱに突き出ているだけ。 雪に覆われラクダの背にように丸くなったベンチに座り一服。

徐々に風が強くなってくる。 

  

ここまで すでに出発から60分。 

雪がない季節ならゆっくりでも30分程度で歩ける距離。

林間の積雪は100㎝、コース上でも70㎝といったところ 

特にスノーシューは用意してなかったので歩くくたびにヒザ下までもぐってしまう。

冬の日中何度も歩いたことがあるので、沈むこと、時間かかることは想定内であった(スノーブーツは履いていた)

疲れたが ラグビーの練習を思い出せばなんてことないのですぐ回復した。

5分休憩してまた歩き出す。

だんだん雪が強くなってきた。 眼鏡の縁に雪が着いてとれない。ゴーグルを装着する

視界不良のなかリボンを頼りに歩く。 

     

(6:50)鹿侵入防止柵ゲート着  次第に空が明るくなってきた。

ゲートを後にして林間コースを抜け泉門池方面の連絡路を超えたあたりで猛烈な吹雪に見舞われる。

(7:00)もう何も見えない

Photo_3

↑ 実際のところ 木影さえも確認できず、かといって来た道戻ろうにも風向きで押し戻されてしまう。

しかたなくザックを下ろしストック2本とツェルト(ムーンライトⅠ型のタープを加工)で雪をしのいでいた。30分ほど様子をみたが吹雪が収まる気配はない。不安は無かったが実はもっと気にしていたのは

「朝日を浴びる貴婦人の姿」を撮れるかどうか。

写真撮りなら深く言わなくてもわかるだろうが、そういうことだ。

   

遭難の危険もあるなかで オラはのんきにも

「天候さえ復活すれば目的地まで15~20分 早く現場に行って三脚広げたい。。。」

そんなことばかりが頭を支配していた。

 

狭いツェルト内ですることもないのでザックの中身を点検した。

ロープロのカメラザックには

ペンタックス645 + レンズ3本 +小物

保温バッグにはベルビアブローニー12枚が2巻

あとは水筒・非常食・マウンテンパーカー他 そんなもん

ケータイもあったが その頃繋がらないので有名なJ-PHONEのカメラ付き。紀香のCMで衝動買いしたものだ。だが当然ココでは繋がらない。。。。。

丈夫なハスキークイックセット3段がツェルトを支えてくれたおかげで高さは確保できたが、時間が経つにつれ三脚足がもぐってきた。 強風にあおられてグラグラするツェルトに不安を覚える。

  

(7:30) ツェルト飛んだ~~

この足止めは予想外。もっと予想外だったのは強風だった。

雪中ツェルトのアンカ用に用意したジュラルミン70㎝ポールも最初こそテントの持ち上がりを防いでいたがあまりの強風に抜けかける始末。

直系5センチあまりの若木がこの強風のなかでも凛と立っているのに比べ、この文明の利器がなんとも頼りなく思えてきた。

表に出てスカート部を雪で覆う。 ついでにクイックセットの足を最大限に広げツェルト自体を低くし風の影響を軽くした。

マイナス10℃の中  完全に寝てる状態となった。

なんとかこのまま吹雪が収まるのを待って……と思ったとき 

地を這う「ビュ~~~」という不気味な音とともに 大波がやってきた

あっという間にツェルトは飛ばされ 行方不明。

雪上に残された 横たわったオヤジとハスキー三脚

 

哀れ…… オラ 

「天はわれわれを見放した……」 

新田次郎映画八甲田山より

  

呆然とする間もなく スコップで竪穴を掘り(穴といっても深さ40~50センチ程度)足から入り頭をかがめ、この白いクソ馬鹿野郎をやり過ごすことにした。

  

ここで役に立ったのがフリースのひざ掛け(しまむらで300円)

いつもは車中で使っているものだが なぜかこの日は一緒にザックに放り込んでいた。

フリースを頭からかぶり その上からキャップをしてダウンジャケットのフードを被せた。

避難してからも特に体は寒くなかったが、フリースの即席屋根下に収まったことで全身ポカポカしてきた。

  

(7:50) だんだん吹雪がやんできた

相変わらず風は強いものの視界を遮っていた粉雪が飛ばなくなったことで、やっと自分の置かれた環境を知ることになった。

この光景をみた人がいれば おそらく「雪原からひょこっと顔をだしたウサギ」に見えたに違いない。

もぐって避難した竪穴ごとすっぽり埋まり フリースのわずかなスキマから呼吸をしていたわけだ オラは。

外側がカチガチに凍りついたフリースの内側は意外と温かく、シマムラすげ~~~!と思ったりした。  

    

山の天気は変わりやすい。。とはよく言ったもんで、男体山のほうから青空がみえてきた。

すっかり明るくなった林のなかで、まず周囲を見回し飛ばされたツェルトを探した。 30メートル先の鹿柵に引っかかっていた。アンカーにしていたポールの1本は消息不明。

この雪の中探すのは無理なので 雪解け後探すことにした。

 

とりあえず 小田代のあずま屋(バス停)に向かった。

ここからは低公害バスの舗装路面を歩く。 かえって滑りやすかったが沈むこともないので足取りが楽になった。

「雪の進軍」を口ずさみながら歩く。

   

(8:15) 小田代バス停到着

無人のバス停に余計な装備をおろし

ハスキーに645取付 フィルムパックを装填。 よかった……凍ってないよ(笑)

機材かついで原っぱに向かう。

木道には ちょっと前に誰かいたらしく三脚のあと。 

    

(8:30) 貴婦人 らしきものを撮る

Img_479619_2052838_0

↑ なんかよくわからない。。。 貴婦人のはず(正直今でも自信ない…)

 夏の貴婦人は いやっつー程撮ってるからまあいいか……。

ここまで苦労してたどり着いたんだから ヨシ!としなくちゃね。

   

帰りは低公害バスの舗装路を歩いて赤沼まで帰った。

(9:40) 赤沼駐車場

スノートレッキングに来たカップルに会う。

「突然吹雪くから気を付けてね」と一声かけて別れる。  

帰宅してカブママに遭難しかけたことを伝えたが、小田代まで雪中行軍した満足感が顔に出ていたのかいまひとつ緊迫感が伝わらず……。

  

無事戻ってこれた要因として装備も大切だが、結局体力だったと思う。

60代~70代の遭難が多い理由がよくわかる。

あたまデッカチで体力ないからな…あのへんのジーさんは。

大学ラグビーを真面目に4年間やっていた成果がココに現れたと今も信じている。

ちなみに画像はJ-PHONEケータイで。 アンテナ立たなくても使い道があるもんだ。 

 

まあそんな話だ。

 

| | コメント (2)

2013年10月21日 (月曜日)

野外道具選びのオラ基準

  

   

最近 トレッキングを楽しんでいるカブ家だが、以前よりオラの基本は山登り&キャンプ。

1歳の頃からオヤジに連れられ(さすがに覚えてないが)中禅寺湖畔、光徳を歩いていたらしく、野営地をオムツしながら駆けまわってる写真が残っている。その写真の奥には三角テント・飯盒・帆布のリュックが写っている。白黒写真だから色まではわからないが風合いから時代を感じさせる。

 

リュックといえば…… 中学までオヤジのお下がりの、、なんだっけ? 確か倉敷のテント屋さん特注の重い帆布やつ。底とポケットのベロが牛皮でやたら頑丈だったなあ。重かったけど

その頃(昭和40年代)は登山・キャンプ用品を買う為には登山用品専門店しかなく、宇都宮でもブロッケン他2店しか思いつかない。

そのいずれも大した品揃じゃなかったから、大事なものは神田の登山屋に買いに行った。色とりどりの外国製ザックが展示されていた。 登山靴はほとんどが革製。キャンバス地はキャラバンシューズのみだったよーな。

  

アウトドア用品といえば

高2のときボーイスカウト世界大会で韓国全羅北道の山中でキャンプしたことがあった。

内容は登山ありサバイバルあり、そして野外料理あり。そもそも世界各国のスカウトと親交を深める……そんなキレイな名分で参加したわけだが、実際はブートキャンプ並み。。

ランボーの世界に近いものがあった。

韓国行きの装備は重い昔ながらの山用品を持って行ったが、今でも印象に残っているのはアメリカ隊(メイン州)、西ドイツ隊(ルール)の装備は軽く丈夫でそして色使いも華やかで。。 ドイツのリーダー達は全員ハンワグのベロが赤いの履いてたし。ガキのくせしていいもん持ってるなぁ~と思った。(当時オラもガキだったが…)

余談だが

野営地のはずれに銃を持った韓国陸軍兵士が立っていた。 「お前何してるんだ?」と片言の英語で話しかけたら「虎が出たら射ち殺す為だ…」と身振りを交えて語っていた。

※ということは脱走もできないってことょ。。

とにかく過酷だった∑(=゚ω゚=;)

 

過酷といえば、、、

大学生の頃、ひょんなことから体験レインジャーの機会に恵まれ、陸自朝霧駐屯地と富士山麓にて4日間、わずかな携行品(ポンチョ、ナイフ、スコップ、水筒、マッチ、コンパス)のみで過ごしたこともあったな(爆)

  あっヘビは下痢するよ。。マジ

 

いろいろゴタク並べたが結局 オラのアウトドア装備に関する考え方はそんな

過酷な経験で学んだことがベースとなっている。

つまり「備えよ常に」であり「推理と観察」である 

(ココからはオラの独断と偏見 一般論とは違うかも)

 

そんなオラが求める性能

① 価格

② 軽さ

③ 丈夫さ (耐引き裂き 耐熱) 

④ 防水性能 透湿

⑤ 防寒

 

ひとつひとつ説明するのはメンドクサイので割愛するが、登山(トレッキング)専用品と汎用品では性能が違い過ぎる、あたりまえだよね専用品だから。

でも あんた

殆どがボッタクリだよ。。 

  

装備に頼る機会が多いのが秋冬 そんな季節 

特に防寒と透湿、時には命を左右する重要なファくクトだ。

オラ的にイイと思うのは バイク用品

  

あたりまえだが 歩いている時よりもバイク乗ってる方が寒い

こんなこと誰だってわかることだが

 

気温5℃で 80㎞/hで走ると体感温度は10℃下がる

つまりマイナス5℃になっちゃうわけだ。

  

当然袖口やジッパーから冷気が入り込むから体の一部はそれ以上に寒く感じる。  

高速道路で120㎞/hで走った場合

気温0℃で (湿度30前後) 体感マイナス20℃前後  

つーことは  南極の夏の気温並みだ。

バイクジャケットはそんな過酷な環境にも耐えられるように作ってある。

 

それにバイクジャケットは 転倒を想定しているので引き裂きに強く、いざとなればプロテクター装着袋まである。防水透湿に至っては段違いで、時速100㎞/hで走っても濡れないから歩いているときは絶対濡れない。

性能差を語るときもっともわかりやすいのが対風圧の話。

100㎞/h超えると風速22m以上となる。そんな風圧に耐えるように設計されたバイクジャケットならば、山行時の強風なんてのはそよ風同然。

 

なによりもここまでの機能つきで 安いものは10,000円前後からある。(コミネとかコミネとかコミネ…)

そして何よりも軽い。    

防寒グローブ、パンツにしても然り。

 ※ 経験上 ゴアテックスは 濡れるし蒸れる 

  ただしホムセンのビニールカッパよりはマシ。

 ゴア単体で使うことはマレ。以前使っていたゴアテックスのテントは結露してひどかった。。

要はゴアと組み合わせる素材の問題である。 80年代のゴアテックス側地+シンサレート綿の組み合わせはひどかった。。 ばーちゃんが作ってくれた半纏の方が性能よかった。

 ゴアテックスを否定するわけじゃないよ。ゴアテックスの性能を生かしたモノ作りをしてるメーカーが少なすぎるということ。

ちなみにオススメはモンベルだ。

  

話は戻るが バイク用品で

登山(トレッキング)用品に負けているのは「靴とテント」だけ

これだけは絶対敵いそうにない。

  

総じてバイク用品に比べれば

登山(トレッキング)用品はボッタクリだな

  

だからオラは 極力アウトドア専用品ブランドを選ばない。

よく考えて買うことにしてる。 

    

そんな偉そうなこと言ってるわりにココが好き

ええ そーですよ。。 正直金無いんですよ

アウトドア用品の宝庫

Wakuman_hane_2 

↑庶民の味方 ワークマン

大きな地図で見る

↑小山羽川店

  

実は今冬はスノトレしようと思って コレ買ってみた

Ijisu

↑ イージス バイク板でユーメイな防寒着

上下で4,900円  Σ(゚д゚lll)ヤスイ !

 

エレー評価が高いので試しに買ってみた。 売れ筋らしく11月に入るとほぼ売り切れてしまうらしい。 

Img_2358

↑さっそく開けてみた 第一印象「とにかく軽い」  中綿だがこの価格帯にしてはムラなくヨレもなく入っている。

 

Img_2359

↑前身頃はジッパー含め3重のフラップ 冷気の侵入をシャットアウト

 サイドのポケットもジッパー+防風フラップ

 防寒より防風に振ってある印象。

  

Img_2360_2

↑フードは取り外し可能  フードをフィットさせるためのドローコード付

 この装備が意外と重要で、オラの60/40パーカーにもついてたらいいなぁ~と思う。

 

Img_2361

↑パンツの裾はベルクロ止め調節可能。

 残念な点は ブーツ履いたまま脱げないこと。。

 

Img_2362

↑パンツの前身頃 ジッパー+防寒フラップ ウェスト調整はドローコード。

ゆったりめなのでハードな山登りにもってこいである。

 ※パンツにポケットが無い ここは減点だ。。

 

Img_2363

↑コレが重要!!  手首を完全ガードする なんとか布(爆)

ココが寒いんだよね 指に引っかけなくても袖口締めればおK! 

 

肝心の生地だがリップストップ加工ではないが、パンツ生地は厚みもあって丈夫そう。

この日は着て歩いたわけでもバイク乗ったわけでもないから実地性能は検証できなかったが、試しに部屋の1階と2階を3往復したらすでに汗ダラダラだった。。

来週東北道乗って100㎞/hで飛ばしてみればしっかりわかるだろう。

 

 

| | コメント (3)

2013年10月19日 (土曜日)

山座同定

しっかし えらい台風だったな…26号

一夜明けて今日の午前中も強風で木々が大きく揺れていた。

栃木県内もいたるところで被害が出ていた……

オラんちも 庭のベンツがひっくり返り、隠していた金塊が吹っ飛んで総額10億円の損害……( ̄○ ̄;)! 

   

 

冗談はおいといて…(爆)

 

得意先の被害も心配だったので日光(今市)に行ってみた。

高速道路は今市から先は通行止め、今市ICで降り春日町交差点を119号方面に左折しようとするとおまわりさんが封鎖中。

オラ 「ちょっとそこまでだから通してよ~」

K察 「ダメダメ」 「危ない」

オラ 「すぐそこなんだよ~ ホラそこに見えてるじゃん」

K察 「とにかくダメ」 「またあとで来て」

 

あっこりゃダメだ。。。 つーことでぐるっと回って、上今市駅脇の踏切通ってなんとかたどり着いた。 先の浄水場方面で倒木があったらしいね。

それどころか 県内いたるところでバス停の看板が倒れていたり、飛ばされた葉っぱが吹溜まっていた。

 

エラいこっちゃだね。

Tky201309160231

  

ちなみに午後は風はあるものの良く晴れた^^

  

玉生から高原山を見る。 山頂は多少ガスっているが概ね晴れsun

Img_2340

↑ この画面見てよ  写真の上の方に山の表示あるでしょ。

「山カメラ」ってアプリなんだけど山座同定するのにちょうどいいのよ

まあ普通は「見た目」で判断するんだけどね、結構テキトーで自分でも笑っちゃうくらいだから。。

GPS+カメラで特定できるなんて、便利になったよね~

  

今週末は…トレッキングもバイクもお休み

 

うちに新しいワンちゃんが来るから その子を見に行く予定 

(今は生まれた家でお世話になってるんだよ~)

  

また楽しみ増えて こまっちゃぅ~(*^ω^*)ノ彡

  

 

| | コメント (2)

2013年10月15日 (火曜日)

ミツモチ山でラートレしたぞ

   

連休最後の10月14日は 台風が近づいているのがウソのようないい天気であった。 10月の連休は天気に恵まれてよかったよね (9月は雨ばっかしだったけど)

  

今日はミツモチ山に登ってきた

※ミツモチ山 (標高1248m  高原山系の低山 つつじの群生地がありメジャーなハイキングコースとして年齢問わず人気の山である)

写真撮りのブログでは「つつじ」の写真でよく紹介されている山である。

----------------------------------------------------

2013年10月14日(月)

天気:晴れ時々くもり  気温:肌寒い

装備:全身ゴアテックスのアウター・ガスストーブ&クッカー・水2リットルその他

---------------------------------------------------- 

12時10分 大間々駐車場からスタート 

Img_2287

↑今日も元気なカブママ 

12日古賀志山 13日塩原自然研究路 そして今日ミツモチと トレッキング3連荘をモノともせず絶好調な4●歳。

 

Img_2286_2

↑ コースは  行き:やしおコース  帰り:青空コース

 Nonさん記事による事前情報だと、この2つのコースはそれぞれ見どころがあり初心者も楽しめるということなので期待して歩いてみる。

※ Nonさんのサイト  

  北関東の山歩き ~トレッキング&ハイキング~

  いつも参考にさせていただいております(._.)

  勝手にリンクしてしまいました。。。

  

大間々駐車場のトイレ横からコースは始まる。

Img_2288
↑やしおコース入り口   わりかし緩やかな下り路のようだ。

 

Img_2291

↑出発から10分 気のせいかずっと下っているように感じる。 つーか実際下っていてこのままでは下界まで降りちゃうんじゃないかと不安になる。

いくつかの沢を渡りきると、出発から下った分を取り戻すかのようにずっと登りになる。さほどキツイわけではないが、「こんな疲れる道作りやがって……」と内心思ってしまう。

  

Img_2295

↑左に斜面をみながら5分ほど歩くと平坦な地形になった。

 つつじが生えているのがわかる。5月~6月初めが見頃?そんなこと書いてあったな… 来年行ってみよ。

  

歩いている最中気付いたことは、 ここはやたら火山性の岩が多いこと。解りやすくいえば玄武岩質安山岩・安山岩・デイサイトなどが頻繁に地表に現れている。草木はその火山岩にへばり付くように自生しているパターン。 

廃道酷道ファンのオラの資料では

高原山系は50万年前に火山活動が開始され10万年前に終息。わりと最近では6500年前に噴火があり北側で割れ目噴火があり、昨日歩いた塩原自然研究路のあたりが形成され富士山(新湯富士)や爆裂火口もその時に生まれた。

ちなみに富士山(新湯富士)は水蒸気爆発と降灰によりドーム型に形成された。だから同様の成型過程を経た「世界遺産の富士山」と同じ姿をしている。

前回噴火時の中央火口は前黒山・明神岳の南部および釈迦ヶ岳、西平岳といった円錐火山(釈迦火山)からなり、これらが巨大な「高原火山群」を形成しており、このミツモチ山自体もその時形成された噴円錐型地形であることは間違いないと思われる。

つまり大きな岩山の上を歩いてるわけだオラ達は。。
 

そんなことを想いながら(ホントは腹減ってフラフラだった)歩いていると低木に覆われた平地に出た。周辺見まわしてもココより高いところは見当たらないので頂上付近のようだ。

 

2分も歩くと

Img_2300
着いたよ~~o(*^▽^*)o  

 メシ食えるよ~~~(ハエ~ヨ)
  

Img_2302

↑山頂の見晴らし台に登ってみる

Img_2304
↑ ワオ!!  多少ガスってるけどスゲー展望 

 13時5分に着いた (大間々駐車場から2.6㎞  55分) 

 

今日はこの風景を拝むこと以外にもう一つ目的がある。

それは

Img_2310

↑ えへへ( ̄▽ ̄)  ラーメン

 

Img_2312

↑ おにぎりとミソラーメン (もちろんサッポロ一番だよ)

 風の強い山頂で体が冷えてきた頃出来上がったラーメンは格別の味だった。

 

Img_2313

↑ 無心で食うオラ 

食え~ 食え~ 食うんだ~ジョー 

 (古いな、、歳がばれる…) 

Img_2314

↑ 1248mで食うラーメン。美味いに決まってるヽ(´▽`)/

 なんかこのパターン 癖になりそーだなヘ(゚∀゚ヘ)アヒャ

 トレッキングでラーメン つまり「ラートレ」か?

 今後オラの定番にしよう(笑)

 

Img_2315

↑ 実は高所恐怖症のオラだが、誰か隣にいると不思議と怖く感じないんだな、コレが。この日はあまり風が無かったのでよかった。

山頂から下界に別れを告げ帰ることにする。

  

Img_2316


↑帰りは青空コース(左の2.9kmコース)だね

  

Img_2318

↑見晴らし台下の休憩広場では3組のハイカーが昼食してた。靴ひもを締め直し出発

  

青空コースというだけに 頭上を覆う木が無く明るい空の下を歩く。

この写真では曇っているが 台風の影響か雲のスピードが速く大間々到着時では晴れ間も出てきた。

Img_2321

↑西方に釈迦ヶ岳、中岳が見えてきた。この先から若干上り坂 でも高低差はあまり感じない。周りに木が無い分風がダイレクトに当たる。

 

Img_2322

↑やしおコースへの連絡路  行きの「やしおコース」と違って正直ラクである。  

   

Img_2329

↑ミツモチ山から1.7km地点 轍の跡がのこる路面 スタートからずっと両側は笹

このような平坦な道をテクテクあるく。

 

Img_2331

↑見晴コースとの分岐 八海山神社を通り剣ヶ峰までのコース

 今日は 腹がいっぱい 疲れ気味なのでまた今度(笑)

 

Img_2333

↑やっとゴールの大間々駐車場が見えてきた

 これなら子供連れでも安心して歩けるね。

Img_2334

↑ 大間々到着 14時35分 (ミツモチ山から2.9㎞ 約60分)

 なんとか無事歩けた。  相変わらず駐車場は満車

 空は一部雲が晴れて太陽が見えている。

  

車に戻り一服( ゚Д゚)y─┛~~ しながら歩いたルートを確認してみた。

 

下の画面はオラのiPhoneに入ってる

マップルの「山と高原地図」というアプリなんだけど

歩行記録付けてるときに気付いた。。

Img_2335

↑出発地:大間々の標高が   1278m

目的地:ミツモチ山の標高が 1248m

その差30メートル ミツモチが低い ( ゚д゚)ポカーン

 

確かにマップを追うと(やしおコースの場合) 

出発から一気にくだり、今度は一気に登り、その後ダラダラって道程。

つーことは…… 「ミツモチ山に登った」というよりも

「ミツモチ山に降りた」って表現の方が適切なのでは?

  

まあいいか…… 楽しかったからね(v^ー゜)ヤッタ!!

天気に恵まれた3連休だった。

この三日間 古賀志山 塩原 ミツモチ よく歩いたな。。

普段バイクばかり乗ってると歩く楽しさを忘れてしまう。 

歩くと普段目に入らないモノまで見えてくる。

  

いいね トレッキング

| | コメント (4)

2013年10月14日 (月曜日)

塩原自然研究路を歩く(ヨシ沼~大沼)

しっかし また台風来てるみたいね∑(=゚ω゚=;)

今年最大だってよ 26号  こればっかりはお天気のことだからどうにもならないが、オラ的には紅葉が散ってしまうのが残念。。 なんとか逸れてもらいたいね。

さて本題

昨日の古賀志山登山 の疲れが心配された 10月13日(日)の朝 思ったより疲れてなかったので今日もトレッキング(*^-^) 5時間に渡る協議の末(ウソウソ…)

「中禅寺湖の周りを歩いてみよう!」と話がまとまり日光高速に乗った。

晴天で絶好のドライブ日和、そして紅葉とある程度の渋滞は予想していたが、日光IC超えたら大渋滞。。 全然動かね~だよ。。さすがにのんびり屋のカブママもキレ気味( #` ¬´#)

Img_2245
対面通行となったところでUターンする(ノω・、)

だが 時すでに11時。沈黙の車中 亀山社中

さー こっから何処行こうかと話していたら、いいこと思いついた。

「困ったときの塩原」との格言があるとおり塩原自然研究路行ってみっぺ!ということで今市ICからR121へ乗り日塩道路を通り大沼方面へ急ぐ。

(この日もバイク多かったね~ 来週は乗りに行きたい)

そんで着いた!! (途中省略…)

Kenkyurorogo_2

 

------------------------------------------------

2013年10月13日(日) 

天気:晴れ 気温:ちょっと肌寒いが動くと暑い

-------------------------------------------------

ヨシ沼から大沼までの自然研究路を歩くことにした。

Img_2248


↑ ん~と 大沼まではだいたい40分位か? 


今日カブママはコロンビアのパーカー着てきた。なんか高そう(;´▽`A``機能性もバッチリだそうだ。 一方オラは相変わらずのキタネー格好。 いいんだよ見た目じゃねんだよ。

ヨシ沼入り口の駐車場から出発

Img_2249

↑いい感じの木道に心が弾む(*^ω^*)ノ彡。

Img_2252

↑名前のとおりヨシばっか。。(^-^;

でもよく見ると浅い湖沼が土壌で埋まっており一種の高層湿原である。 このコースは高低差があまりなく、スニーカー程度ならバッチリ行けちゃうので家族でハイキングするのにもオススメ。案内板によると6月下旬にはハッチョウトンボを始め多くの昆虫・水生植物が見られるらしい。

Img_2254

↑富士山(新湯富士 標高1184m)を左手に大沼方面に向かう。 こんな感じの歩きやすい林道がずっと続く。 一部ガレたりするがトレッキングシューズ程度で快適に歩ける。

Img_2258

↑やがて舗装路をまたいで自然研究路の続きを歩く。

この「塩原自然研究路」 日本で最初の自然研究路らしい。

既承のことだが塩原には大正天皇の御用邸があった(1946年 昭和21年廃止)。歴代の天皇陛下(大正以降ね)は各御用邸付近に自然研究路を設けており、この塩原自然研究路も何か関わりがあるに違いない。 (あっhappy02 つい悪いクセが……)

Img_2262

↑富士山の東を10分も歩くと大沼に着く 手前はヨシの湿原。 以前訪れた時より陸地化が進んでいた。

Img_2264

↑富士山をバックに

Img_2265

↑標高980mあんだね。 今度は早起きして登ってみよ~

Img_2266

↑ヨシ湿原を歩く 見たとおり紅葉は始まっていない。見頃は10月末~11月初あたりかな~

Img_2268

↑大沼 南岸  トチノキ ミズナラの原生林が鬱蒼と茂り 風のそよぐ音や動物の鳴き声しか聞こえないような静寂に包まれている。

Img_2270

↑ デケーよ! 木霊が出てきそうだよ(笑)

 もののけ姫の世界って もしかしてココじゃね?と錯覚するほどの雰囲気

Img_2273


↑大沼東岸 このあたりは大雨の後は水没する。 今日は渡れたが今度の台風の後が見もの。是非 会社サボって 確認したい。

ここまで昼も食わずテクテク歩いてきたが そろそろ限界(;ω;)

カブママの機嫌を損ねないようお昼にする。

Img_2278

↑案内板前  地べたによっこらしょ

Img_2277

↑ コンビニのおにぎりセットだが美味しかった(*゚▽゚)ノ

 昨日の古賀志山頂で食ったおにぎりといい 歩いた後のご飯はなんでこんなに美味いのか?  

あ~ ラーメンも食いたい!! ← バカ

Img_2280

↑ せっかくなので記念写真 iPhoneを木に乗っけてセルフタイマーで撮った。

 余裕で写っているのが シャッター押して走ってきたので 正直息ハァーハァーである(;´Д⊂

Img_2281

↑オニギリとおいしい空気を頂いて大沼をあとにする。

こんなルートで歩いた。(案内板を写メして加筆)

Img_2275_2

↑ 1周1.8㎞ というと宇都宮森林公園の赤川ダム周回路と一緒だね。

-------------------------------------------------------

実はオラが「以前訪れた」というのはちょうど30年前 ボーイスカウトの地図読み訓練の時だった。 持ち物は25000分の1地図とシルバコンパスあとは水とホイッスル。今の塩原交番のあたりから出発して大沼経由―八方ヶ原までの自衛隊式訓練。

そしてこの大沼でキャンプした。当時は今のように交通アクセスがよくなかったからまさに「知る人ぞ知る的」な場所で夕方になると人気がない場所(今もそうだが)。 ヨシの湿原も今ほど広くなく逆に沼が今の2倍はあった。 夜中、沼を撫でる風の音が人の話し声に聞こえ4人で震えていた。。。 とこんな感じ。

-------------------------------------------------------

(おまけ)

ヨシ沼周辺に実っていた木の実

Img_2283

 ↑オラ 植物系には全然詳しくない。。

 カブママも?? とりあえず口に入れるのはやめた(笑)

このあとテクテク歩いて無事ヨシ沼駐車場に戻ることができた。

トレッキング(山登り)2日目

日光あきらめて

わざわざ塩原まで来たかいがあったo(*^▽^*)o

| | コメント (0)

(=゜ω゜)ノ チョーヨカッタです(古賀志山)

太ももが痛い……つーか 全身がぁぁ(ノω・、)

あれ?Σ(・ω・ノ)ノ! こんなところに筋肉あったの? 

そー思えるくらい全身つかったんだよね~ 今思えば

お約束の前置きはこのくらいにして 山登ったのでご報告。

Img_2234_2

古賀志山

栃木県宇都宮市の北西に在る標高582.8mの低山。

最も高い古賀志山(582.8m)のほか、御岳(標高546m)、赤岩岳(標高536m)が一体の山塊を成して見えるため、これらをまとめて『古賀志山』と呼ぶ。

オラは宇都宮生まれの宇都宮育ち 古賀志山は子供のころから遠足や遊びで訪れていた。なんとなく高いな~とは思っていたが583mあったのね。。

Img_2235

↑このマップは宇都宮市の森林公園HPより

上の(青い)北コースから登りはじめて古賀志山山頂、南コース(ピンク)で降りる予定で出発した。

--------------------------------------------------------

2013年10月12日(土) 11時15分 

天気:晴れ 気温:汗ばむ程度 

Img_2165
↑森林公園駐車場  (初)山登りにはしゃぐカブママ

この日のためにトレッキング&山登り装備を「大人買い」した。。

最近 世間じゃ「山ガール」だなんだかんだ ファッションの一部となりつつあるがこの森林公園にも「そんな感じの」山ガールが多かった。

なんでも人気がでるのはいいことだね。そのうち用品も安く買えるよーになるしね(*^m^)

ちなみにオラだけど、

小3から始めたボーイスカウト訓練のおかげで山は得意中の得意。とはいえもうすぐ50歳。カラダと同様に山装備もくたびれてきた。 あ~新しいトレッキングシューズほっすぃ~

まあ そんなことを考えながら北登山口に向かって坂をのぼっていく。

ちなみに うちのカブちゃん(ワンちゃん)のお散歩で毎週のようにこの森林公園にきている。ダムのまわりを巡ったり駆けっこして遊んでる。 でもいつも目に入っていたとはいえ古賀志山に登ることは想像していなかったけどね。 

Img_2168

↑北コース登山口  しばらく川を左に見ながら杉林を歩くと細野ダムとの分岐にぶつかる。

Img_2169

↑細野ダム分岐を左

 橋を渡る このあたりはさほどガレてなく登りやすい。 まだ余裕で会話しながら歩いている。

Img_2173

↑ところどころガレているが、たいした斜度ではないのでテンポよく登れる。さっそくカブママの「高い」トレッキングシューズの威力発揮

Img_2175

↑このあたりはまだ余裕だね(゚ー゚;

 しかしオラの格好。。 ダセーな(゚ー゚; 年季入りまくり

そーいえば韓国の山登ったときもこんな格好していたな。。

Img_2176

↑水場 (細野ダム分岐から約10分) 冷たくて気持ちイイ

Img_2177

↑水場を過ぎ だんだん傾斜がきつくなってくる。

 自分の体重を呪う時間帯が始まる。。www

Img_2179

↑ 広場到着 (水場から10分)富士見峠まで20分。。。  

このあたりで黒いカブパパの

「ヒヒヒこんな辛いことやめて 帰ってビール飲もうよ~~ヘ(゚∀゚ヘ) 」

というささやきが聞こえてきた。

Img_2180

↑ とにかく休憩 へばった 

お水が美味い! つい飲みすぎてしまう。

すこし休むと回復する。まだ”ちょっとは”若いかな?

ここからは準登山って感じのコース

Img_2183

↑ 正直 足が上がんねーよ。。 「フ~」とか「ハァ~」とかカブママも苦労してるみたいだ

Img_2184

↑ 余裕かましやがって…… 

このあと巨大な岩の塊をよじ登り階段が現れる。富士見峠まであとわずかだ。 すれ違う登山客に「あとちょっとだよ」と励まされる。

「あとちょっと」の言葉を信じて重い足を引き上げる。

Img_2187

↑ 富士見峠 (広場から15分 登山口から50分) ふ~  

初山登りのカブママ 魂抜けかかってる。。呼吸も荒い

ココではオラ達より年配の方が休んでいたが平気な顔してた。いかに普段の生活でカラダ動かしてないかを思い知る。

もうちょっと休みたかったがスズメバチが飛んでたので休憩もそこそこに古賀志山頂へ向かう。

実はオラ的にはココからの登りが一番キツクて、登山道脇のロープを手になんとか這い上った感じ。

坂を登りきったところが分岐

Img_2189

↑ 東稜見晴台と古賀志山頂の分岐

 山頂で早くメシ食いたかったので見晴台はパス 山頂へ向かう

ついに古賀志山頂へ到達 (n‘∀‘)

Img_2193

古賀志山頂 583m 

o(*^▽^*)oやっとたどりついた!(北登山口から1時間20分)

 思ったより眺めはイイ こっちは鹿沼方面かな?

 日差しは暑いが風がヒンヤリして気持ちいいよ。

Img_2191

Img_2192

↑オラ 見るからに苦しそうだね(笑)

Img_2190

↑二等三角点 山頂にはアンテナが建っている ほかにも丸太のベンチが設置されている。オラ達のほかにも15人ほどいた。

おまちかね メシの時間

Img_2197

ヽ(´▽`)/ マジウマ~

お昼はカブママのおにぎりとから揚げ なんでこんなに美味しいんだろね~ 気分的には10個は食える勢いだったが2個しかないのであきらめる(アホ)

苦労して登ってきたかいがあったよ( ^ω^)

しばし休憩後 13時20分 降りることにする。

実はこっち(南コース)は降りたことなかったのでちょっとドキドキ。

踏み跡を追って下っていく

ところが……

Img_2207

↑なんか… 岩場続き。クサリ持たないとキツイ場所ばかり

あれ?こんなに険しいの? 南コースは でも岩に矢印ペイントあるしコースとしては間違ってないはず。

とにかく慎重に下山する。

Img_2208

↑ 途中の岩場から。 目下に森林公園(赤川ダム)が見える。 あそこから登ってきたんだね~ 宇都宮市内も見えてるね ちょっと嬉しくなる。

ふたたび。。 岩場の連続  

大袈裟だが滑落に気をつけて慎重に

Img_2213

↑ ストックなど役にたたない。

両手両足で地面の感触を確かめながらケツで降りていく感じ(笑)

Img_2214

↑やっと別の登山道に出た。

Img_2215

↑足元の立札をみると………

Img_2235_2

(lll゚Д゚)あちゃ~~    知らぬ間に「登山コース」降りてたのね。。道理で……まあいいや…とにかく無事だったし

一気にラクになった(気も体も)

やっと まともな登山道を歩く

Img_2218

↑ 南コースを森林公園方面へ

Img_2219

↑ 30分歩くと「古賀志林道」に出る ココを左折

Img_2221

↑しばらくアスファルト路を歩く

ずっと悪路を歩いてきたので 変に歩きにくい。。

Img_2222

↑10分後 サイクリング路が見えてきた。

Img_2223

↑ココは「矢印方面」に入る 再び林のなか

Img_2225

↑なんとなく先が見えてきたので余裕が出てきた(゚ー゚)。

このあたりは以前 カブママと歩いたことがあるから気はラク。でも膝はガクガクだ

あと少しだ頑張ろう!

Img_2228

↑見覚えがある遊歩道

ある地図には「ヲオケラガイリ遊歩道」って書いてあった。

「ヲ」だよ  重いオ  なんか歴史ありそう。

歴史といえばオラの得意分野 あとで調査だ~( ̄ー ̄)ニヤリ

森林公園見晴台から

Img_2230

↑ここまで降りてきた。 ダムで遊んでる子供の声も聞こえてきた。

Img_2231

↑管理棟前の公園

 15時10分 無事下山したよ~~ ヽ(´▽`)/

Img_2233

↑ 古賀志山を振り返る。 たった1時間20分前にはあそこの頂上いたと思うと不思議だ。とにかく怪我しなくてよかった(*^-^) それに天気も最高だった。

カブママの「山ガール」デビューはイキナリ登山となった。

まさに山の神に感謝の一日だった(*゚▽゚)ノ

| | コメント (2)

2013年10月 7日 (月曜日)

杉並木に汽車が走る(下野電気鉄道)

                     <10月9日(水)加筆>

え~全国4000万人 3人くらい?の下野軌道ファンの皆様

こんにちは(*゚▽゚)ノ  オラです

 

オラの大切にしてる本「郷愁の野州鉄道」には、今となっては想像もできないような歴史が書いてあるのだが、あまりにも古いと年表記載のみになってしまい、写真が残っているケースは希である。

Photo

P254

↑ 254頁には下野電気鉄道(旧下野軌道)の歴史が記載されている。

 挿絵の写真にご注目!

あのユーメイな日光杉並木に汽車が走ってる!!w(゚o゚)w

想像もしなかったので心惹かれるじゃない! 

 

この写真がきっかけとなり 夢中になって下野電気鉄道を調べてみると年表にこんな記載があったので転記する。

1919年(大正8年)10月1日 大谷向今市-新今市間が開通

1927年(昭和2年)11月 新今市-大桑間の大谷向駅廃止

1929年(昭和4年)7月7日 新今市-大桑間に小倉町駅開業  東武日光線乗り換え駅

 

つまり簡単に言うと、東武が日光線を敷設する前には、東武の下今市駅(現駅名)とJR今市駅(現駅名)のあいだになんと連絡線が通っていたことになる。

 ここで「連絡線」と書いたが、実際は新今市新藤原間15.4㎞にわたる下野電気鉄道路線の一部であって経営母体や軌間(レール幅)は同一である。

ただし駅舎については現在の駅とはまったく別であった。

・新今市駅(鉄道院)の場合後述のとおり現在のJR今市駅前ロータリーに存在していた。

・小倉町駅は現在の下今市駅前広場に存在していた。

      

Photo_15

 ↑ ちなみにコレは現在(2013年)の路線図

 

それが…文献のとおりに直線を引くと

  ↓   ↓   ↓   ↓   ↓

2

 ↑ こんな具合に連結してたことになるんだよwww

目的は…ちゃんと書くと長くなるが、東武が日光まで線路延ばす前は日光方面への鉄道は国鉄のみであり、日光に向かう客の為に東武駅から国鉄駅まで「連絡線路」を敷設して客を回してたんだよね。

 

下野電気軌道(藤原軌道・下野軌道ふくむ)は藤原方面に既に軌道を持っていた。それは森林・鉱物を中心とした産業軌道であった。元々は下野軌道が下滝の発電所建設に伴う資材運搬の為に大谷向今市駅(現大谷向駅)から中岩駅(1922年廃止)の6.0㎞の営業を開始。その後藤原方面や今市方面に伸びていった。

1929年(昭和4年)、東武の日光線が下今市まで延伸されたの機に下野電気鉄道線との連絡を図り、小倉町臨時停留所(小倉町駅)を設置、さらに10月には東武日光線下今市駅構内に乗り入れ、同駅に起点を改めて下今市 - 新今市間を廃止した

  

つまり、路線廃止時の駅名でいうと 新今市-小倉町間を廃止したということ。

  

ふーん。なるほどね( ̄▽ ̄) なんとなくわかってきた!

それにしても、このあたりは仕事で何度も通ってるし、歩いたこともあるんだが今思い出してもそんな痕跡はなかったと思う。

 

ホントだとすれば(文献が正しい!!) スゲー!

幻の線路ってわけだ( ̄▽ ̄) 

つーわけで徹底的に調べてやろうと思っていたのだが、なかなか時間がなく半ばあきらめていたところだった。

でも今回 今市出身「幼なじみのW君」のご協力が得られ実施に至った。

 

調査目的は 文献や住民の方からの情報をもとに

連結線の軌道跡をトレースすること

そしてW君オススメのそば屋さんで

美味しい昼メシ食うことこの二つ!

  

それでは調査開始!! と行きたいところだが

まずは下調べということで

古い写真から線路の痕跡がないか調査してみた

19463

↑ これは1946年(昭和21年) 米軍が撮った航空写真

日光街道・例幣使街道の追分を中心とした今市の主要部分である。

 

国鉄今市駅から東武下今市駅間には線路らしき痕跡がない

年表からは昭和4年の廃線から17年後、拡大してみると「なんとなく」それらしいモノは写っているがはっきりしない。

2006

 ↑2006年(平成18年)航空写真  米軍写真の60年後

市街化が進みさらに判別不能。。。 というか新たな道路整備と区画整理によりJR今市駅側(上の写真では左下)では様相が一変しているのがわかる

    

オラはこーみえても下調べに余念がないのだが、、

今回ばかりは100%駅間を歩いてこの目で調査することにした。

 

---------------------------------------------------

2013年10月6日(日) くもり 湿度ムンムン

・調査員1 カブパパ(あ~先月ついに48になっちゃった爆)

・調査員2 W君 (カブパパの幼なじみ 小学校以来)

---------------------------------------------------

  

..。.:*・゜(n‘∀‘)η゚・ジャジャジャ~~~ン !!!!!

まずはいきなり結果発表する……  (手抜き研究)

ww結果としてこーなった ww

Photo_5

↑ 二つの駅間(新今市―小倉町)は直線ではなく弧を描くような曲線で結ばれていた。

 ただし 痕跡は多少残っていたものの非常に苦労した…

 ここでは以降あえて便宜的に「連結線」と呼ばせていただく

それではその調査の過程をご覧にいれたい。

 

まずはココから出発

●JR今市駅

Jr

002

↑JR今市駅   

 1890年(明治23年)開業 ここからスタートするわけだが

連結線の新今市駅舎とは違う。新宿や渋谷みたいに乗り入れていたわけではない。

003

↑文献によると 連結線の新今市駅は駅前ロータリー、この写真のあたりにあったものと推測する。おそらく間違いないだろう。

 

出発して今回の頼りはお年寄りからの情報収集

 (実際これが実に役に立った)

 

駅前で道路を履いてるご老人に話しかけた。

オラの風体をみてちょっと引き気味だったが、

「こんな調査をしてるので 知ってること教えてください」とお願いしら快くお答えくださった。(多謝)

線路はこのロータリを起点に現在の今市図書館(当時は畑)の北をかすめ例幣使街道を横切っていたらしい。

さっそく今市図書館方面へと歩く  テクテク

 

●今市図書館

Photo_6

004

 ↑ ここが今市図書館 北東のカド

  写真奥に見える並木が 有名な例幣使街道杉並木

 写真手前からあの杉並木方面に軌道は続いていたことになる

 

●竹美荘付近

Photo_8

006

↑ 先ほどのご老人からの情報で この竹美荘の北を通って例幣使街道を突っ切っていたらしい。

007

↑元来た道を振り返ってみる。

 軌道はほぼこの道路の向きに伸びており、写真奥の暖色アパートの手前から徐々に右に曲がっていった。

 

008

↑ ココが架橋ポイント (例幣使街道から「竹美荘」方面を見上げる)

 杉並木街道は江戸期の通例に習い側部より低くなっている。そのため軌道は橋脚の上に引かれていた。 写真のラクガキ スケッチのように架橋されていたと推測する。 

 

●日光街道側の架橋ポイント

Photo_9

009

 ↑ 例幣使街道ー日光街道間の軌道跡

今回最大の謎だった だがあっけなく住民からの情報で解明できた。 さすが地元民(感謝感謝である)

さきほどの例幣使街道(写真の奥に写ってる)を超えて日光街道まで続く道は大小2本あった。 同じような道幅であったため特定できないで悩んでいたところ、街道沿いの住民のかたが教えてくれた。

010

↑写真に見えるタイヤショップの右側の道(ちょっとこの写真じゃ判別しづらい…)から軌道は続き このあたりの杉並木を突っ切って日光街道と交差していた。

 (たしかにこの周辺だけ杉の樹齢が若い気がする…)

 

●旧病院方面へ

Photo_10

011

↑さきほどの延長線にある路地。100m直線を行くと住宅の門でつきあたる。おそらく廃線跡地に建てたもの。

012

↑軌道はこんな感じで直進していた。

右の明るい色の建物(病院跡)左側を通っていた。

 013

 ↑W君情報では40年程前には上写真の建物(さっきの病院跡)の脇には土盛りが残っていた。(おそらく築堤のあと)   軌道はこんな感じで通っていた。

014

↑ この不思議な建物は縦長の車庫 

細い路地の両脇にシャッター付の車庫が並んでいる。廃線跡地の利用方法として全国でよく見られる光景である。

写真正面方向は東武下今市駅方面 直線距離だと300mもない

 

●漬物店のあたり

Photo_11

015

↑ ココは駅前の漬物店の裏手にあたる。

 正面高い建物は東武関係のビル 軌道はココをとおり駅に向かっていた。

思い過ごしかもしれないが この写真中央のアスファルトレベルが左右微妙に違う気がした。

016

↑ さきほどの漬物店を 東武駅側から見る。 矢印のように軌道が伸びていた。

 

●東武下今市駅  やっと着いた……

Photo_12

017

↑東武鉄道下今市駅 1929年(昭和4年)開業  

島式ホーム2面4線をもつ見た目より立派な駅。 おそらく同じホームを共有していたはずである。

この下今市駅は東武日光線開通に伴い開業された駅である。

「連結線」の小倉町駅舎は当初この駅前ロータリあたりに存在した。その後東武日光線乗り入れに伴い廃止となった

駅前は廃れているとはいえ歴史が積み重なった老舗が軒を並べており、また東部関連の開発会社、不動産関連会社が多く、今市において東武がもたらした産業資本の潤沢さをうかがい知ることができる。

 

【後記】

今回の調査では、対象軌道の廃線化時期が古かったこともあり、その痕跡を見つけることは容易ではなかったが、地元住民の御親切なアドバイスのおかげで結果として完遂することができた。 もっとも興味があった「ふたつの街道をどうやって渡ったのか?」についても昭和50年頃までは橋脚跡が残っていたという証言をもとに場所を特定することができた。

 

満足な調査ができたので 腹が減った!! (不満でも減るけど…)

018

↑W君オススメの お蕎麦屋さん

019

↑クシャクシャになった地図。。 反省会

020

↑鴨せいろを頼んだ  

 なんか先週も鴨ソバ食ったきがするね。。。。。

  

021doctor

↑同行してくれたW君  ありがと~(*^-^)

  

最後に、

調査のきっかけとなった一枚の写真

杉並木を走る汽車

Photo_14

場所は特定できないのだが今市周辺の杉並木と思われる。

近所の農民? が手を振っている。

実はオラ 

この写真で感じたことは、SLや杉並木など古い物へのノスタルジーなんかではない。

産業開発といった国家の大目標の為には杉並木という歴史的財産などはいとも簡単に壊されてしまうということである。国家の成長期ってヒトと同じで いろんなところが痛くなったりするんだね~~。。

 

 

| | コメント (2)

2013年10月 4日 (金曜日)

KARA

 

オラ 何でもかんでも嫌中嫌韓ってわけじゃなく、そりゃ中には好きなもんだってあるんだが、

そのうちの一つがKARA

 

「ミスターの尻振りダンスが好きなんでしょ?」 なんて言われそーだが

 

実際それは好き   悪いか? (爆)

実際 忘年会で踊ったけどなdash

  

そんなわけで iPhoneに曲入れて聴いてたりYoutubeで楽しんだりしてた

 

ところが残念なニュースが入ってきた

いろいろあって解散するんだと。。 (理由知りたければググってね)

11月24日兵庫・神戸ワールド記念ホールが最終公演となる見込み。

ラストステージが日本で いいじゃない 偶然でも

行きたい。

  

KARAっていえば 思い出すのは

「ジェットコースターラブ」のCD売上を全部 被災者に寄付したこと

あの大地震では国内外のアーチストが資産や収益金の一部を寄付したり、協力をしてくれたのだが、「全額」ってのに驚愕した。

なかには「戦略」だとか「宣伝」だとか言う人いたけど

それじゃ 寄付した人全員に対する冒涜!

オラの近所でも倒壊した家があったから

支援は自然な気持ちでしたもんだ

 

批判してるやつに限って実は1円の寄付もしないやつばかり

あの未曽有の災害時 どんなカタチであれ支援金を出すことがどれだけ大切なことだったのか

 

人の善意を片っ端から疑うのはよくないと当時思った。

 

そんなことを思い出したわけだ。

  

Kara

↑ KARAいいよ  強制はしないけど 聴いてみ!

   

 

| | コメント (2)

2013年10月 2日 (水曜日)

秋空と蕎麦と湿原の旅(南会津)

蕎麦の旬といえば秋

収穫されたばかりの蕎麦粉で打つ南会津の蕎麦は 

まことに美味であるな。 のう サル  (織田信長)

戦国の世も蕎麦は秋の風物詩だったようである。(ウソウソ(;゚∇゚)) 

「食欲の秋」という言葉を聞くと やたら腹が減るカブママ

そのような現象を「パブロフの●」というのだが

もちろんオラもこの季節だけはやたら腹が減る

今週は忙しかったし(もちろん仕事) リフレッシュも必要

sun秋晴れとなった日曜日 美味しいものを食いにいった。

最近バイクで出歩いてばかりなので 今回はクルマで!

会津方面に出かけてみた。

2013年9月29日(日)

コンビニで ジャガリコとチョコ、そして飴玉を買い込み

いつものように宇都宮ICから東北自動車道路ビューrvcardash

西那須野IC降りて400号を塩原方面へ

三依を過ぎると秋の風になってきた。

さらに分岐を左折左折右折と 2時間半

不安になるくらいの山奥を走る

着いたところが ふくすま県(現地読みだよ) 只見町

Photo

 ↑ こーしてみるともうちょっとで新潟県だね

 地図で見ると遠くへ行った感じがするね

この只見 本州有数の豪雪地帯で冬は通行止めとなることが多い

以前は(交通機関が)会津若松からの列車だけだったらしい(冬)

ちなみに只見線

Photo_2

↑会津若松(福島)から小出(新潟県)

 よくこんなとこ列車走れるよな~~と感心するほどの田舎

TVで「日本全国ダーツの旅」ってあるけど

まさにそんな風景が続く

ちなみに第一村人は 乳母車押してたお婆ちゃんだった。

-------------------------------------------------

【 南会津の蕎麦 】

011  

↑ 山六食堂 

前回来たときは大地震の前だった。ご無事でなにより(*^-^)  

007

↑ これが目的の 鴨ソバ

 量は大食いのオラでも普通盛りで充分

お新香の鉢が付く

009

↑鴨肉のいい風味が食欲をそそる

 蕎麦の香りも素晴らしいが ここでは鴨の勝ち!

 つけ汁にも鴨の油が溶けて この上ない芳醇な香りを漂わす

食堂に来る客の”おそらく”8割は注文してんじゃないかな。。

とにかく名物  絶対美味い! 

実は ザビエルが大海原を超えて戦国の日本にたどり着いたのも

キリスト教の布教なんかじゃなくて

この鴨ソバが目当てだという説もある。

なぜなら 店前の農協のおじちゃんの頭が

ザビエルそっくり! 子孫か?

実は他にソースかつ丼食った

(カブママが どーしても食いたい!っていうから…) 

満腹になった(o^-^o) 美味しかった 来てよかった

帰りは来た道を戻るけど

少し運動してカロリー消費しようということで

湿原を散歩することにした

------------------------------------------------ 

【 高層湿原へ 】

田島から約20分

駒止(こまど)湿原に到着

南会津町と昭和村にまたがる標高1100mにある湿原

018

↑ 尾瀬ヶ原の縮小版って感じだが

 植物の種類は駒止湿原のほうが多い

もちろん入場無料だが、靴底についた汚れを落として入山

012_2

↑ココの入り口からは想像できない景色が広がる

 カブママは初めて 天気もいいので軽装で入る

012

↑最近多いんだよね。  馬鹿カメラマン。。

狭い道に三脚広げて 他の通行者のことなど考えていない。そりゃなかにはマナーいいのもいるが、オラ的に見てそんなのわずかだね。 

話はそれるが 沼原湿原でも木道目いっぱい三脚広げて踏ん反り、足の不自由な方の杖歩行を妨害していた。

たまりかねたオラが注意すると

「なんだバカやろー ココはオメエの土地か? オメーに指図される覚えはね~わ!」と言いやがった。 あっ地元っぽいコトバ(爆)

でも「オメーの土地でもねーべよ」 (苦笑)

そのときはオラ含め大勢で抗議したこともあり 基地外オヤジ達は渋々どいたが、オラの背中にぶつぶつなにか言っていた。

あっちなみに帰りに駐車場でそいつらに会った、悔しかったんだか生意気にこっちにガンくれてたが"あるもの"見せたらだまってビビッてた(笑)

だいたい50~60代に多いね そーいう基地外オヤジ

(カメラマン = エライ=特権 )とでも思ってるのか?

迷惑である………  あとはわかるな。

今回は そーいうバカいなかったのでキモチよく歩けた(*^-^)

013

↑そろそろ色がついていた 

014

↑草紅葉も始まってきたね

015

↑最高の天気!! 日差しは強いが 風が涼しく気持ちいい

 オラ達以外には2~3組しか出会わなかった。

016

↑ ススキの原っぱに生える1本の白樺 感傷的だったので撮ってみた

蕎麦も美味かったし 景色も最高のドライブだった

そしてもうすぐ栃木にも 本格的な秋が訪れる

| | コメント (2)

« 2013年9月 | トップページ | 2013年11月 »