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2012年6月 5日 (火曜日)

廃線を訪ねる 東武鉄道日光軌道線

2012年6月14日加筆修正

唐突だが 

 

下の写真見て ココがどこかわかる人はかなりの日光通

Photo  

東武博物館において、2010年10月から2011年1月まで開催された

「なつかしの日光軌道展」からの一枚である。

場所はもちろん 神 橋

 

日光に行けば必ずこの場所を通る。

それぐらいこの神橋は、東照宮とならんで日光のシンボル。 

ある意味、シンガポールの変なライオンよりもメジャーかも

 

上の写真見て なんとなく違和感があるだろう

それもそう 現在は線路などない ましてや

日光市内に路面電車が走っていたなんて

とても…信じられなかった。。。

   

地元民として、軽く日光のことを触れとくと

・日光東照宮を戴く徳川幕府の聖地として

・有史以来二荒山 山岳信仰の中心地として

・そして1999年の世界遺産登録

・2社1寺を中心とした華麗なる宗教建築の集積地として

様々な顔を持つ。

そして なによりも日光市民の住む町である。

  

それでは例によって例のごとく 

ヒマな2人で 忙しい中 現地調査を実施したのでレポートする。

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【調 査 概 要】

上の写真は 東武日光軌道線といい

栃木県日光市の日光駅前から馬返を結んでいた、路面電車である。

1968年(昭和43年)に廃止されるまで、

観光客、市民、通勤 それぞれの交通手段として

「日光電車」の愛称で親しまれた。

 

運行路線は以下のとおり

0

↑赤い点線が路線軌跡  営業キロは(10.6㎞) 全線電化

 

歴史は 

・1908年(明治41年) 日光町と古河合名(古河電工)の合弁で開業

・1910年(明治43年) 日光電気軌道により日光駅-岩ノ鼻間 開通

・1913年(大正2年) 岩ノ鼻-馬返間 開通により最大長となる 

・1928年(昭和 3年) 東武鉄道傘下に入る

・1953年(昭和28年) 新型車導入 戦後の旅行ブームで客数最大に

・1965年(昭和40年) 第二いろは坂と金精峠開通 一気に客数減

・1968年(昭和43年) 1月 運輸審議会が廃止許可が適当とする答申

     同年     2月25日全線廃止

ちなみに廃止時の「日光駅前-馬返」間の運賃は70円だった。

  

余談だが昭和43年時の70円の価値は

かけそば一杯  週刊誌 ハイライトが買えた。

とても庶民的な価格設定であった。 

  

駅(停留所)は19箇所あり

その多くは国道119号、国道120号沿いに存在した。

一部は古河電工敷地内に存在し、通勤者の交通手段としても重要だった

  

能書きはこれくらいにして 探索をスタートする

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2012年6月3日(日) くもり

 

調査員は

カブパパ (年齢詐称)

カブママ (年齢不詳) の2名

 

スタート地点の JR日光駅に降り立つ

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相対式2面2線の地上駅 1890年(明治23年)開業だが

現在の駅舎は1912年(大正元年)のもので ちょうど100年。

多くの歴史を見守ってきた風情ある建屋である。

  

歴史ある廃線跡を探索するに相応しいスタート地点である。

   

【日光駅前から神橋まで】  

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出発点の日光駅前には上の図で示すようにループ区間となっていた。

国鉄日光駅前、東武日光駅でそれぞれ客をのせ 

現在の国道119号線(いわゆる日光街道)の真ん中を走っていた。

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↑東武鉄道日光駅  現在の駅舎は1979年(昭和54年)に改築

この横断歩道付近が路面電車の停車場だった

  

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↑ JR日光駅と東武日光駅前の道路

道路と並走するかたちでループ線があった。

 

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↑東武日光駅前ロータリー

休日ともなると多くの観光客で賑わう。

ループ線区間の中心部と思われる。

 

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↑石屋町付近から神橋方面へ

 中央の黄線あたりが線路だった

ここから神橋まで数か所の停留所があり市民の足として活躍していた

 

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↑御幸町付近

ここに東武鉄道日光軌道 最大の遺構である

架線柱が現存している。

なぜここだけ撤去されなかったのは謎である。

 

 

やがて日光金谷ホテルを左に過ぎると

今回のレポートのきっかけとなった神橋があらわれる。 

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↑多くの観光客で賑わうこの橋のたもとには

線路を通すための橋脚跡が現存する

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 ↑昭和初期の写真と思われる 

Photo_32   

↑ 赤い点で 当時の鉄橋を描いてみた。

手前のコンクリート塊と川向こうの神橋袂のコンクリート塊が橋脚跡。 

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↑ 上面からみると 大谷川に対してななめに架橋されていた 

   

加筆

Photo

 ↑日光市HPより 輪王寺側から日光市内を写す。

 画像左に車道(歩道) 中央に軌道 そして右端が神橋である。

    

【神橋から日光高校まで】

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↑ここからは現道(国道120号線)に沿って軌道が敷かれていた

 

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↑本町のコンビニ付近

軌道は右車線あたりを走っていた

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↑田母沢御用邸付近

 この先 田母沢川橋に中央分離帯があり、軌道遺構が存在する

 

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↑中央の赤い鉄骨が日光軌道橋梁跡である

 一見、道路の真ん中を走っていたように見えるが、

当時は鉄橋と人車橋は分かれていた。

 

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↑軌道は安良沢橋手前Y字路を右折する

   

Araaswa

 ↑一旦右折して70メートル進んだ後 鉄橋を渡り現道に戻る

現道に再合流する地点は 現在とある団体の施設があり

取材することは難しかった。  

  

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↑現在の荒沢(安良沢)橋

使われなくなって44年 今もひっそりと現存している。

 

【清滝 古河アルミ付近】

3ic

 

清滝への分岐点 300メートル手前に停留所跡

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↑ ひっそりと置かれたベンチ 半分は朽ちている。

 藤棚柱には「時刻表」らしき鉄板が張ってあったが判別不明

 

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↑清滝1丁目付近  

左が国道120号(清滝バイパス)  右が清滝方面

軌道はここを右に入っていく

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↑昭和初期の古河アルミ前  写真奥が馬返方面  

軌道線が道路左に走っている。

  

清滝町に入った軌道だが

この先 複雑な進路をとる

 

【清滝桜ヶ丘から古河電工日光事業所】

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A地点 (桜ヶ丘)で現道をそれる

 

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↑ A地点 この分岐を右に入る

 

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B地点 この真ん中を軌道が走っていた

  

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↑ C地点 清滝通りに再合流

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↑D地点 清滝郵便局手前  

赤い線で示した方向に軌道が向かっていた。

一旦 古河電工の敷地内を走る

 

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↑ E地点(工場西側) 現在はこうして壁に仕切られているが

 赤線のように軌道が続いていた。

S24

↑ E地点 古河電工西の軌道跡 この先は馬返方面

   

 

【国道120号合流から 馬返方面へ】

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ここから清滝通りへ合流する

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↑A地点 修理工場付近 ここで合流し右方面に、向う

S26_120

↑B地点 軌道跡はまっすぐ正面を進んでいた

現在は一方通行となっており 左にしか進めない

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↑軌道跡を示すコンクリート製のガードレールが現存している

 

 

【豊川稲荷から馬返】

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そろそろ終点の馬返が近づいてきた。 

この辺は単調な直線路が続く。

白いクルマのあたりが停留所

S28

↑ A地点 豊川稲荷付近  軌道は右車線あたりを走っていた

 

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↑B地点 馬返駅周辺 

 

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↑ 駅舎跡地には このような枕木が刺さっている

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↑ 現在 駅舎跡は柵で囲われている

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昭和初期の馬返駅舎

 

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↑昭和12年ごろの馬返駅  

日光軌道線の終点であるとともに

日光鋼索鉄道(ケーブルカー)の起点であった

大谷川を渡る鉄橋が見える。明智平までケーブルカーが走っていた。

  

この馬返駅 実はつい最近まで残っていた。

いや正確には オラが子供の頃 たしか小学2年生あたり(昭和48年)

なんかの駅ぽかったが 当時はまったく関心が無かった。

   

こうして日光軌道の本線 9.7㎞を辿ることができた。

 

事前調査で多くのHP、ブログを参考にさせていただいた。

なかでも 日光市図書館の資料が一番胸にジーンときた。

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1968年(昭和43年)の日光市広報

市民に惜しまれながらも廃線となる日光軌道線の

最終運行(ラストラン)ニュース

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↑ 記事を読むと 市民に愛されたことがわかる

廃止になって44年経つが

現在 50歳以上の方には乗った記憶や見た記憶があるだろう。

加筆

39630

↑空から見た日光市(昭和39年6月 広報にっこう)

日光街道ド真ん中を走る軌道と乗用車の様子がわかる。

      

線路なき今 当時の雄姿を留める軌道車が現存する。 

203

↑日光軌道203号  現在は東武博物館に保管されている 

車体の特徴からも 最終運行をしたものと同型であると思われる。

  

【編集後記】

 

帰り道 カブママと話した

「なんで路面電車やめちゃったんだろね」

「そーだね」「もったいないね~」

「今 走ってたらカッコイイのにね~」 

  

!!

 

そーなんだよ

「今 走ってたらカッコイイのに」!

 

だめだよね~ なんでも効率化で無くしちゃうのは。

観光資源ってのは 残して維持することが大切なんだから……

 

そこだけ残念だった。。。

 

帰りにカブママがお土産を買った

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↑金谷ホテルベーカリー  ホテル真下の直売所

客は外人ばかり。

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↑人気のパンは売り切れていた。。。

でもシナモンロールを買ってきた。

金谷というだけで「スゲー! ウメー!」と感じる

これも日光の不思議さだろうか。。。。

  

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