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2012年6月29日 (金曜日)

アルゼンチンの日露戦争史を読んで想うこと

  

先日 元アルゼンチン海軍大将マヌエル・ドメック・ガルシアが書いた

『日本海海戦から100年―アルゼンチン海軍観戦武官の証言』

という本を読んだ。

100

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ガルシアは 大日本帝国聯合艦隊がバルチック艦隊を撃破した かの有名な日本海海戦(明治38年 1905年)において

アルゼンチン海軍「観戦武官」の立場で 装甲巡洋艦「日進」上から

歴史的な大勝利を観ることができた 数少ない外国人である。

 

彼の日本海海戦報告書はアルゼンチン海軍の機密文書として

ブエノスアイレスの海軍博物館に100年以上も保存されていた、東郷平八郎がとった戦術は、多くに国が手本としたように このアルゼンチンでも教書として使用された。

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その報告書が本になったおかげでこうしてオラも読むことができたわけだが、内容は単に「戦争を観てきたよ」という報告だけではなく、当時の世界情勢、日本の立場、日本人の国 民性、などを外国人の立場から率直に書いた歴史書でもある。

 

全部書いてはキリがないので要点だけ。

感銘を受けたのは

日本海海戦は「勝つべくして勝った!」 戦いだった

と記述があったところ。

 

一般的には、 

迫りくる世界最強のバルチック艦隊の脅威。

絶体絶命のピンチを「トーゴーターン」で敵をビックリさせ

大逆転で完全勝利した。。 くらい 

  (今の反日教科書じゃこんなもん  バカだね)

  

ガルシアの言う「勝つべくして勝った」とは全然違う

  

彼の記述をオラなりに簡単にまとめると以下である。

  

世界最大の領土を持つ帝政ロシア

領土拡大の野望は中国東北部まで及び、大日本帝国との利害が朝鮮半島で一触即発の状況。

日清戦争(明治27-28年)で勝利した代償として遼東半島を獲った日本に対し、ロシアは三国干渉をもってこれを奪い返し念願の不凍港を手に入れた。また主力艦隊を配備することで日本海の制海権および通商破壊をもくろんだ。

日本海海戦を遡ること10年前から 砲火を交えることなく日露の戦いは始まっていたのである。

全ての日本人はロシアの脅威を肌で感じ、また屈辱的外交成果の反省から海軍力増強を主体とした軍事力増強路線をとるのである。

 [中 略]

当時の日本はまだまだ極東の貧しい国であり、「陸も海もロシアには敵わない」といわれていたが、日本人には勝たなければいけない理由が明確であり、

「勝つためには何をすべきか」だけを元帥から水兵にいたるまで真剣に考えることができた。

ちなみに 

・海軍省は予算をちょろまかして(違憲だが)軍艦を買った。

・陸軍は激戦のうえ確保した203高地に据えた観測台から、旅順港のロシア艦隊を確認するや高崎山砲台の28センチ榴弾砲の直撃弾でコレを葬り去った(キングストン弁を抜いて自沈した艦もあった)

・旅順のロシア艦隊が無くなったことで、旅順包囲網が解けそのスキに呉・佐世保・横須賀の海軍基地において艦船の修復が可能となった。

・決戦までに3~4か月の準備期間がとれたことで、砲撃、伝達、信号といった実戦さながらの訓練ができたことと、黄海から対馬沖にいたるまで監視船配備ができた。

・政府は日英同盟(明治35年発行)を外交の軸とし、英国に反ロシア政策を働きかけることで、英国製艦船の輸入、バルチック艦隊の太平洋曳航作戦の妨害をした。

・英国は英国製石炭(高火力の無煙炭)をロシアには供給しなかったため、艦船の性能差(速度)に開きがでた。

・この間、国民は江戸時代に戻ったかのような前近代生活を耐えた。

 日露戦争の戦費は当時の国家予算(歳入)の7倍であり、会社でいえばとっくに破産していた。 政府は「勝つため」にあらゆる税金(酒税・タバコ税他)を増税した。

苦肉の策で「相続税」なるものが新設されたがまだそれでも足りず、大蔵大臣高橋是清は得意の英語を駆使し諸外国に赴き外債募集をおこなった。

日露戦争開戦当時は 誰も「ロシアが負ける」なんて思ってもおらず、日本に金貸すのは愚かだと思われていたが、旅順要塞陥落、ロシア旅順艦隊殲滅したころからは米国資本家を中心に出資者が増え続けた。 特にユダヤ系資本はロシア在住の300万人ユダヤ人保護と引き換えに出資を申し出た。

賭けでいえば四分六(4対6)、始めこそ(10対0)で話にならなかった賭けが、もしかしたら日本が勝つかな?レベルまで持ち直した。

無謀な借金であったが、「日本勝利」の為に国民が一丸となった。

  

なぜそこまで 

日本全体が盛り上がったのか。

盛り上がることが可能だったのか。

 

それは、

ほんの30年前までは江戸時代であり、国家という概念はない。

国家とは当時のそれは藩のことであり 

長州は長州人 薩摩は薩摩人 

殆どの日本人は 日本全体がどうなろうと知ったことではない。

  

やがて幕末の動乱期を乗り越え

明治政府が樹立され国体が定まると、日本人という概念が芽生える。

欧米列強のアジア進出を目の当たりにし 「やらなければやられる」は当たり前の時代。

「眠れる獅子」と恐れられた清は「眠った豚」と揶揄され、こぞって日本周辺にも欧米列強の侵略の手が伸びてきた時代である。

国を守るには戦うしかないのである。

  「戦わないと滅ぼされる」

近代日本が国の存亡をかけて戦ったのが日露戦争なのである。

  

そして運命の日本海海戦。

10年をかけて準備され、士気旺盛な大日本帝国海軍と

ロシア皇帝の命を受けたといってもイヤイヤ出港した(※)バルチック艦隊とではその差は明らかであった。

 ※ 帝政ロシア海軍の艦長以下士官は貴族階級であり、水兵は労働者階級であったため艦内では想像を絶する階級社会であった。このため勝利の褒章は貴族階級が独占し水兵への見返りは無きに等しくまた艦内の生活環境も大きな差があったため(特に食事)祖国の為に戦うという意識に乏しかった。(これはロシア陸軍でも同様であった)

 

邦軍監視船の早期発見によりバルチック艦隊の進路を把握した連合艦隊は、満を持して迎撃態勢にうつる。 ウラジオ港に逃げられないよう(黄海海戦の反省から) 敵の進路を塞ぎ一斉放火を浴びせる。

まさに「トーゴーターン」として世界の海戦史に名を残すその作戦は、偶然やその場の判断で生まれたわけではなく、完全勝利の方程式として必然にして当然の結果であった。

もちろん「下瀬火薬」「伊集院信管」といった高性能武器の有効活用も効果があった。

そして充分な砲撃(射撃)訓練の成果が、着弾地点解析を容易にし手早い距離修正が可能になった。 また砲の速射性能がロシアの3倍あったことにより、集中砲火の効果が倍増した。

以上のことから実際の戦闘能力の差は ロシア1に対し日本10

勝つべくして勝った とはこのことである。

  

ガルシア曰く

ロシアとの一番の差は 人の差であった。  

聯合艦隊司令長官の東郷以下、参謀、下士官、水兵にいたるまで 勝利の目的がわかっており、自分の役割と責任をはたし勝利に貢献した。

仮病を使う、ウソ(適当な)の伝令で見方を惑わす、敵前逃亡するといったことが日常であったロシアの船乗りとは根本から違っていたのである。

   

昔の日本人は凄かったなあ。

とにかく凄かった。

  

政治家から庶民にいたるまで国を想うことができた。

   

ふ~( ̄Д ̄;; たまの長文 肩凝った

  

弊ブログには あまり政治的なことは書かないのだが、

本を読み終えたあと ↓ 書かずにはいられなかった。

---------------以下乱文------------------------  

なにやってんだ 政治家は

国家の危機だってのに、選挙のことしか頭にないし

だいたい民主に政権任してから マニフェスト反故は当たり前

支那 朝鮮には弱腰外交でなめられっ放し。

おかげで日本の価値は下がりまくり。 

  

もしかして 

管は北チョンのスパイなのか?  ポッポはチャンコロの?

そうとしか思えない。

  

あっそうだ  もちろん

民主に票入れたバカ。 どーしてくれんだよおかしくなっちゃったぞ。

 

----------------- おっと 本音が出ちゃった 爆----------------

自民も民主も その他大勢ゴキブリも

この本読んでほしい

  自分のやってることが恥ずかしく思ったらまだ望みあり。 

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