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2012年6月11日 (月曜日)

文明開化の鼓動 那須基線

  

  

オラ 10数年前になるけど栃木県北部の営業担当をしていた時期があった。

下図の地区担当。 思いっきり広い

北は旧那須町、南はさくら市まで

いわゆる【那須野が原】を中心とした南北35キロ東西20キロのテリトリー

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↑ 【那須野が原】とは北の那珂川と南の箒川に挟まれた扇状地で、北西から南東に標高500mから150mに傾斜した台地。別名「那須野が原台地」とも呼ばれ、扇状地の中心には水無川の蛇尾川が流れる。

国内でも最大規模の扇状地である。

 

古来より水の便が悪く土地も痩せていたことから原人口も少なく、現在のように社会資本が充実し都市部が形成されたのも明治中期開拓民の入植以降であった。

そのため現在も比較的人口密度は低く矢板市、大田原、西那須野市、黒磯市間の幹線道路沿いには田畑と酪農地が目立ち、道路幅も県央の宇都宮市と比較するとゆったりと作られている。

入植民の努力と積極的な資本投資のかいあって、現在では栃木県随一の穀倉地帯であり、本州一の酪農地帯へと変遷を遂げた。

ついでに言うと 我が栃木の誇るスーパースターU字工事もここで育った。

言葉遣いは……あまりよくねーべよ。(爆)

 

そんな のんびり感が漂う地区でお仕事をしていたわけだが、

得意先間は最低でも5~10キロ離れており、効率よくまわる為に裏道(抜け道)を使っていたので今でも大概の抜け道は知ってる。

  

そのなかで いつも”不思議な道路”として印象に残っていたのが

通称”ライスライン”

大田原南部から千本松牧場に至る道路である。

 

何が不思議かって? 

この道 

約10キロに渡って まっすぐなのである。

まっすぐ区間  (赤いの区間)

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↑ 日本国内じゃ(北海道除く)どんな道路も数キロも走れば

カーブがあったりするものだが、このライスラインは10キロまっすぐ。

(正確には10.6キロ)

 

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 ↑ 道路に赤い線を引いてみた。。。。 まっすぐだよ^^

  

気になっていたので調べてみると とんでもない道だったことが分かった。

別名「那須基線」というらしい

 

【那須基線】

明治11年に設置された「測量基本線」のことで、明治政府が欧米の測量技術を導入して国土の正確な地図を作製するために、内務省主導のもとに三角測量の最初の一辺を定めた線らしい。

線なので両端が存在し、A点(起点) B点(終点)とすると

A点は大田原市南部 B点は千本松牧場のあたり

A点B点に高い木櫓(観象台という)を組んで進める際の目印とし、定規をつなげて図ったらしい。

10キロもの区間 大きな起伏もなく直線が確保しやすいという条件に【那須野が原】がマッチしていたことがここに基線を設置した最大の理由である。

 

そーいえば

オラも高校のとき三角測量をやったが、簡単に説明すると

最初の一辺(両はじ)を定め正確に距離を測れば、第3点地(目標点)は基線からの角度を測るだけで測量できる。

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A点-B点間を定めることで、C点ーD点間の新たな基準線を設置

その後E点、F点を計測……… 

これを何度も繰り返すことで三角を増やしてゆき網の目ように全国を測量できる。

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(図は国土地理院HPより)

だが…

残念ながらこの【那須基線】

全国測量の基線としては使われなかった。

なぜなら、当時は精密な地形図は軍事上の最高機密であった為、最終的に陸軍が定めた相模原基線が採用され、この那須基線は採用されなかったのだ。

しかしその正確な直線路はその後那須野が原開拓の基準線として役に立ったのである。

そして現在も渋滞知らずの抜け道として……

   

知らなかった。。。。 そんな由来があったなんて。

知ってれば…… 立ち●ョンなんかしなかったに。。 (爆)

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それでは【那須基線】

その足跡をたどってみる

2012年6月9日(土) 雨 しかもザーザー降り

・調査隊長 カブパパ(あと13年で定年)

・隊員    カブママ(疲れ知らず)

スタートはこの辺から

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↑へんな名前の通り(笑) なんだよ! なんじゃもんじゃって。。

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↑事前調査では正面の森に 観象台跡(南端)があるらしい

 

森の手前を右に入る。運送屋さんのカド

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↑意外とあっさり あった。。

  

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↑これが観象台の跡  標識は鉄の蓋の下にあるらしい。

 もちろん現在は使われておらずいわゆる「史跡」扱い

観象台というからには「天体観測」にも使われていたようだ。

 

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↑その横には 現役の三等三角点がある。

 ※三等三角点とは   設置間隔は4㎞ 全国に32,000点設置 

  2万5千分の一の地図作成に使用される。

  

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↑現在地

  

それでは直線10キロの旅に出発!

ひたすらまっすぐ どこまでもまっすぐ

 

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↑この先の右カーブを曲がって 直線が始まる

 

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↑実取(みとり)入口の交差点

 

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↑現在地

 

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↑国道461号(通称 野崎街道)との交差点

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↑現在地

  

 

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↑新幹線高架の手前 下を走るのは東北本線(宇都宮線)

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↑県道306号との交差点  左のスタンド 以前はシェルだった。

 

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↑国道4号線との交差点 (二区交差点)

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↑現在地

   

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↑ 三区セブンイレブン付近

  

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↑4区 養蚕神社付近

 

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↑道が細くなる 

この手前でライスラインは大きく右に曲がり、上赤田交差点で国道400号と合流する。

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↑現在地

 

 

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↑高速道路高架手前

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↑高速の高架を潜ると 畜産草地研究所の東門

【侵入禁止】につき直進するのは諦める。

遠くまで基線が伸びているのが確認できる

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↑ 上図の赤線のように 研究所内を通りぬけている

 

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↑畜産草地研究所内 柵からカメラを突出し撮ってみた。

 正面の森の奥まで基線が伸びている

 

ここで一旦国道400号線に出て 畜産草地研究所の正面入口から

ほんのちょっとお邪魔する  ← ココ重要

 

ついに【那須基線】の最終ポイント 北端に到着する。 

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↑基線終わり 正面の林の先は 千本松牧場

 

そして観象台(跡)を探す。

この地点が基線の北端だから、近くにあってもいいはずなのだが、周囲を見回してもソレらしきものが見つからない。

”ほんのちょっとだけ” 研究所内にお邪魔して林の中を探す。

カブママ調査員は国道400号沿いを探す。

  

雨が強くなってきたので足もとはドロドロ。。

スニーカーは浸水してブカブカして気持ち悪い。。

「あ~ どこにあんだよ~」(;;;´Д`)ゝと困っていたところ

カブママから着信、「カブパパ体長 あったよ~ すぐ来て~」

  

場所は【畜産草地研究所】の正面入口らしい。

  

なんと 国道沿い。。 塩原行くときは絶対通るじゃん。。 

知らずとはいえ何度この前を通り過ぎていたことか。

  

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↑ちょうど入口の左側にあった。。  (右は千本松牧場)

 

これが北端の観象台跡

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↑ 高さ1メートルの塚状  まるで古墳のような佇まいである。

 

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↑傍らには水準標があった。 案内板によると以前はこの位置から南東50メートルの位置にあったと記されていた。

通常、水準標は移動しないので現在は使われていない可能性が高い。

 

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↑ 那須基線北端から いままで辿ってきた道を振り返る

 今更ながら、この道がはるか10キロの彼方まで直線であることに改めて深い感慨を覚える。

 

この道が作られたのが 明治11年(1878年)

戊辰戦争という全国を巻き込んだ内乱から10年しか経っておらず、この栃木県内でも戦禍による荒廃と混乱から立ち直りの兆しが見えてきた時期である。

急速に西洋化を推し進める明治政府の方針とはいえ、よくぞこの荒涼とした台地に手作業で10㎞もの直線路を引いたこと。驚愕に値する。

 

当初の目的が果たせたので、カブママとお疲れさん会 

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↑千本松牧場売店

せっかくここまで来たので「恒例の」ソフトクリームを戴く。

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↑寒かったけど……美味しかった!

  

【編集後記】

今回の調査 道のカタチとしては「ただの直線」であり、しかもほとんどが現道として転用されており廃線跡のような「ノスタルジック感」は希薄であったが、風景を横目にクルマを走らせていると現代日本の黎明期における明治人の力強さをヒシヒシと感じることが出来た。

その後この道は明治中期から昭和初期にかけ、那須疎水引設の主要な物站道として活躍の場が与えられることになる。

長くなるので…

その話はまた今度。

 

どーやら風邪ひいちゃったみたい。ルルゴールドのんで寝よう(@Д@;

ゴホゴホ(||li`ω゚∞)

 

 

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