« 日光・龍蔵寺の六尺藤が見ごろ! | トップページ | 廃線を訪ねる 東武鉄道日光軌道線 »

2012年5月31日 (木曜日)

廃線を訪ねる 宇都宮陸軍航空廠線

  

  

25度を超える日が多くなってきた。でも木陰は涼しい

夕方7時をまわっても明るいし、

夜はちょっと窓開ければ天然クーラーが効いてる。

ホントに5月は過ごしやすい。

  

こんな時こそツーリング! と思いきや

以前から探索したかった線路跡を辿ってみた

-------------------------------------------------------

宇都宮陸軍航空廠線(うつのみや りくぐん こうくう しょうせん)

   

かつて東北本線宝積寺駅と旧清原村に存在した路線で

陸軍宇都宮飛行場および陸軍航空支廠を結んでいた軍用線である。

主に航空隊への物資、工員兵員の輸送を目的としていた。

  

ここで疑問、航空基地までの輸送ルートであるが

なぜ「宇都宮駅」ではなくて

「宝積寺駅」に接続したのか?である。

  

宇都宮は1907年(明治40年)、帝国陸軍第14師団が宇都宮(旧河内郡国本村)に」師団本部を設置されるや軍都として発展し、急激に軍需物資の集積量が増えた。

輸送ルートとしては、宇都宮駅から清原の陸軍飛行場まで線路を引いたほうが利便性が高いはずと思うほうが道理。

だが宝積寺駅と接続した理由としては、当時戦局の変化によりも本土内陸部への飛行場建設が必要となり、急遽陸軍主導で清原村の用地買収をしたものの、鬼怒川への橋梁建設には手間と時間がかかりすぎるという理由で、東北本線で鬼怒川を渡ったところに既存する宝積寺駅に接続した。

 

線路跡は現在も付近住民からは「線路道」「汽車道」の愛称で呼ばれ

その線路跡のほとんどが道路として転用されている。

 

---------- 歴  史 -----------------------------------

1942年(昭和17年) 敷設工事開始

1942年(昭和17年) 運行開始

1945年(昭和20年) 11月終戦に伴い廃止

 

・路線の長さ 宝積寺駅‐鐺山駅間 約11キロ

・軌道長   1067ミリ

・途中駅   なし   始点終点のみ

すべて非電化の路線であるため線路跡には架線柱は存在しない

  

Photo_12

↑これが終戦後1947年(昭和22年)の陸軍飛行場

赤い線が清原軍用線である。

飛行場の西側を南北に走っている。

画像右上の長い滑走路は1500メートルあり

かつて 陸軍が誇る

キー49百式重爆撃機”呑龍”も配備されていた記録がある。

 

ちなみに滑走路周辺で白くなって写っているのが 空襲の痕跡

クレーター跡までくっきり残っている

   

そしてこれが50年後の1997年(平成9年)の清原飛行場跡

H9

 ↑すでに飛行場としての面影はない。

飛行場敷地のほとんどは、宇都宮清原工業団地として整備され

野球場やサッカー場も建設された。

 

飛行場本部や飛行学校、兵舎だったあたりには

作新大学、宇都宮清陵高校が建てられ文教地区へと様変わりした。

 

しかし、くっきりと線路跡だけは残されている(図の赤い点線)

    

70年前 戦争激化の一途をたどる激動の昭和初期に思いをはせ

廃線跡の探索をスタートした。

--------------------------------------------------------

平成24年5月 

調査団長 カブパパ(46)

助手    カブママ(4?)

顧問   カブパパ父(73)

  

Photo_6

↑ ルートは 地図上の赤い点線を辿る(宝積寺方面に向かう)

   

Photo

鐺山(こてやま)の歩道橋  (スタート地点から南を見る)

  

Photo_2

↑ ここからスタート 北向き(宝積寺方面)に進む

   

Photo_4

↑100メートル進んだところ

むかって右側にホーム跡らしきコンクリート発見した

 

Photo_5

↑登ってみるとプラットホーム跡確認  

明らかに手前のコンクリートと違う 

敷設から70年経っておりアルカリ骨材反応(中性化)が進んでいる、

道路側では法面にむかって欠けたコンクリート片が多数落ちている。

 

戦後すぐの航空写真では このプラットホームが

南北100メートルに渡り敷設されていた。

Photo_7

↑ 現在地 

このプラットホームは軍需物資や兵員で溢れていたのだろう。

   

ここで寄り道する。

事前調査でだいたいの検討はついていたが

「この地に飛行場があったんだよ」という物的確証がほしくて

記念碑を探していたところ、”公園のどこか”にあるという情報入手

 

ただし、このあたり公園(緑地)だらけなので

とりあえず一番近い公園に入ってみる。

5

↑清原工業団地 1号緑地

 

6

↑公園となっている 人はまばら 

 300メートルほど歩いただろうか

 

7

↑ 行幸記念碑発見 !

昭和17年(1942)年、宇都宮陸軍飛行場(宇都宮飛行学校)で行われた、関東特別演習、空地連合演習を大元帥陛下(昭和天皇)が行幸された記念に建てられた。
昭和天皇が三笠宮殿下・東条首相・杉山元帥などを伴って行幸され、パレンバンに降下急襲して、占領した陸軍落下傘部隊と地上防衛軍の大演習が行われた。

   

8

↑傍らの石碑には 

昭和59年 100メートル北から現在地に移転したと掘られている

「100メートル北」とは、現在の作新学院大学女子短大

学校建設のために現在地に引っ越したらしい 

 

91

↑ カブパパ父とカブママ

 

Photo_8

↑現在地の緑地   もとは総務部本部発動機だったと思われる 

 

↑ 昭和17年のニュース映画

大元帥閣下(天皇陛下) 宇都宮行幸の様子を伝えている

   

だいぶ寄り道してしまった。。

再び廃線探索に戻り 宝積寺方面にクルマを走らす。

10  

↑ 同慶寺の300メートル手前

このへんは

「この道 もとは線路だったんだよ」と言われなければ気付かないほど

一見普通の道のようだが この真っ直ぐで平坦な道

まさに線路跡である!

  

12_2

↑道場宿  鬼怒通り(柳田街道)との交差点

 旧道は 現道の10メートルほど手前にある

本田技研工場進出に伴い、芳賀地区への交通量の増加に合わせ拡幅工事が重ねられ現在のルートとなる。

 

13

↑ 線路図と重ねてみると 

 右手に写っている工場の壁付近を走っていたらしい。

 

15

↑テクノ通りとの交差点

 余談だが、いまだもってテクノ通りの意味が解らない。。

東に本田技研の研究施設・工場があり 付随する工場施設関連会社が林立するが、この辺はただのド田舎である。

線路があったころは ただの原っぱだったに違いない。

 

16

↑ 清原北小学校の手前 

この辺はおよそ400メートルに渡って 車道と側道が同じ幅である。

もちろん廃線跡は左側だが、道路幅以外の線路跡を示す痕跡は見られない。

  

1710

↑高根沢に入る  県道10号線(宇都宮―烏山線)の交差点

 目的地の宝積寺駅までは1500メートル地点

 

交差点の先で二股に分かれる  クルマで通るとわかりずらい

18_2

↑ 現道は右だが 線路跡は左

 手前の緑地から旧道方面に真っ直ぐ線路が走っていた

 

19

↑今はほとんど人通りも無い

 

20

↑旧道の出口

線路跡は正面の緑地を突っ切って宝積寺駅まで伸びていた

この先700メートル進むと 東北本線との合流地点

   

21

↑高根沢西小学校付近の踏切

 このあたりから左の東北本線と並走していた。

22

↑ 正面に見えるのは宝積寺駅 (200メートル先)

線路跡は現在 遊歩道と自転車置き場となっている

(画像中央の赤い舗装路)  ※自動車侵入禁止

 

23

↑宝積寺駅  

清原線のホーム跡が歩道となっているのがよくわかる

Photo_10 

↑ 現在地  宝積寺駅に隣接するJAしおの阿久津支所の一部も線路跡だったと推測

   

敷設から廃止まで3年と10か月の短い期間であった。

 

太平洋戦争開戦より南洋で破竹の進撃をするものの

珊瑚海海戦で空母2隻を失いポートモレスビー攻略を断念した。

1942年7月ミッドウェー海戦直後の日本軍は最大勢力範囲に達したものの、それまで圧倒的優位にあった空母戦力が徐々に拮抗しはじめ、アメリカ海軍は予想より1年もはやく反撃を開始する。

本土空襲の懸念、絶対防空圏の弱体化が顕著になったころ設立されたのが「陸軍宇都宮飛行場」であり「宇都宮陸軍航空廠線」である。

まさに

戦争に翻弄された路線  

日本軍とともに散った悲しい運命を背負った路線であった。

  

  

              ― 編集後記 ―

 

余談だが 今回も参加したカブパパ父

オラと同じ遺伝子を持ってるだけに (当たり前だが)

かなりのレーサー野郎だった (クルマ専門だけど)

 

なんと

1960年夏 清原飛行場跡で開催されたレースに参加したらしい。

浅間レース終焉の後を受け、ロードレース渇望の発露となった宇都宮郊外の清原飛行場跡地。1周2.75kmの旧陸軍少年飛行学校滑走路(現在は工業団地)のコースは、砂塵の上がる走路も含まれ、視界を失ってコースアウトするライダーもいたらしい。

当時の写真(これはバイクレース)

Photo_14

|

« 日光・龍蔵寺の六尺藤が見ごろ! | トップページ | 廃線を訪ねる 東武鉄道日光軌道線 »

酷道 険道 廃道 廃校」カテゴリの記事